本日、未熟者

   

野望はあるか 義はあるか 情はあるか 恥はあるか ラジオからの歌で驚いた。本日、未熟者というTOKIOの歌う、中島みゆきさんの作った歌だ。トキオというグループはダッシュ村で、時どき見る。丁度風呂屋のテレビでやっているのだ。何か親しみがある。ダッシュ村で以前ひよこを孵化して、育てたことがあった。そのやり方が、実に私が子供の頃、年寄りがやっていた方法なのだ。手抜きが少しも無くて、良く調べたとビックリしたことがある。先日そうめん作りをやっていた。その時に、当然麦を育てる所からやった訳だ。その精神がいいと思う。そうじゃないと面白くないし、肝心な所が見えない。以前のかまど作りも、今の時代のかまど作りの専門家が、ビックリしたと言っていた。

歌詞だ。「野望はあるか 義はあるか 情はあるか 恥はあるか 」この4つが揃うというのは、難しい。だから未熟者なのかな。などと、思ったわけだ。歌も、突きつけるようでいい。もちろんそれで、調べて中島みゆき氏だと分かったのだけど。なるほどと思った。歌はすごい力があるものなんだと再確認したのは、酒井泉水さんが亡くなられて、酒井さんの歌で救済されたという人が、沢山話しているのを聞いた。確かに「負けないで」と励ましてもらえるのは嬉しい。平原綾香さんの歌うジュピターの歌詞もすごいと思う。 「私のこの両手で 何ができるの? 痛みに触れさせて そっと目を閉じて 夢を失うよりも 悲しいことは 自分を信じてあげられないこと 愛を学ぶために 孤独があるなら 意味のないことなど 起こりはしない」吉元由美さんの作詞だ。

吉元由美氏が韓国の青年の輝きを、自分のブログに書いている。板門店の兵士の美しさだ。韓流と言う事がしばらく言われている。韓国人の素晴しさを、再認識することは、当然だけれども、その根底にあるものが、緊迫した日常にあるとしたら、その引き締まった苦悩を秘めた深い表情も、少し考えてみる必要がある。こうした時、軍隊経験が当然のように出てくる。徴兵制度を評価するニュアンスの文脈になる。自ら望んで軍役を選択をする人の事は仕方がない。否だと考える人間にも強制力を持って、武力行為に付かせることは、人間性に対する侵害以外の何者でもない。こんなにも素晴しい詩をかかれる吉田氏が、何故。と驚いてしまったし、信じられないものがある。

歌詞では今評判は「千の風になって」だろう。あの歌い方が肌に合わない。近寄りにくい。クラシックというらしいが、どこが古典的なのかがよく分からない。もっとさっぱりした歌い方して欲しいな。そもそも、死んだ人が、風になる。こういう発想が私は嫌いなのだ。死をロマンティックに捉えるのがいやなのだ。しかし、親しい人を亡くして、本当に辛い人が、この歌で慰められるのであれば、私がとやかく言うのも余計なことだろう、とは思うが。風になるなら死ねばいいや、という感じにならないか心配だ。この時代は、大変生き辛い。どこか損傷を受けて生きている人が普通だ。更に、競争に拍車をかける、企業社会。毎日告発される不誠実な、企業。この中に巻き込まれて、心ならずも、辛く生きている人の事を考えてしまう。

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