中華人民共和国 1
上海から200キロ少し長江を上った所に、鎮江市がある。上海から南京に向かう高速道の南京寄りのところにある。長江の河畔の街。古くからの中国の海の玄関口。そして、北への大運河と、長江を結ぶ、要衝。上海の渋滞の続く外環高速から、南京への高速道に入ると、片側3車線の道が続く。この道路を、巨大なボンネット型のトラックに、荷をつめるだけ積んだ。逆台形に成ったトラックがゆらゆらと疾走する。3車線を4車線にして、ひたすら競争を続ける。我々の載った小型バスも、それを縫うように、追い抜き続ける。空は熱気をはらんだ黄色の大気によって鞘断され、見とおしは300メートルと言うところだろう。黄砂なのか。大気汚染なのか。麦わらを燃やす煙なのか。疾走の砂埃なのか。彼らいわく、雲だそうだ。なるほど、雲に巻かれていたほうが無難。
わたしは測量士K、誰に呼ばれて、何をしに行くのかつかめないまま、ひたすら指定されたスケジュールをこなしてゆく。そんな心境だった。全てが10倍の積載で疾走する国。富裕層と呼ばれる人、そして大多数の人民。世界の脅威と成りはじめている、インドと、中国の経済発展。低賃金階層を莫大に抱えて、一部の富裕層の資本を呼び水として、世界の資本を集め、利潤を求めて疾走する国。インドが階層の固定と言う禁じられた有利さを持つとすれば、中国の有利さは、国家統制力。土地の個人所有の禁止。国家所属する土地と、集落財産として共有される土地。やりようによっては、実に効率的な仕組みが可能な土地制度だ。舟原の土地が全ての舟原住民に共有されていて、同じ比率で、個人が借りて管理する。3年管理しない土地は取り上げられる。そして部落の自治会で、有効利用を話し合い、会社としてお米を作る。成功すれば、文明村。利用能力が無ければ、集落ぐるみで、農業企業者に利用権を50年貸与する。と言う手もあるそうだ。
この低賃金と、能力主義と、資本主義とを併せ持つ、中国的共産主義の不可思議さ。インドのように階級社会が明確に固定された社会の方が、グローバリズムの中では、有効に機能する。いわば国内に、低賃金労働者階級を固定化し保有して、不満が出にくい社会。アメリカで言えば低賃金移民労働者。アメリカは何時インド、中国の台頭をどのように人権侵害と、攻撃を始めるのだろうか。もう諦めたと言う事か。国家の品格とはなんとも弱々しい言葉に見えてくる。上品なことを言っていられない国が、踏み入ってくることが許された、グローバリズムと言う世界の虚構構造。世界主義が世界を蹂躙する時代。食糧危機は、空想でない。現実に起こりうる事態。中国の可能性は農業力の浮沈にかかっている。食べ物がある間は、ともかく暴動はない。大多数の住民は自給的農業を庭先で行っている。空き地と言う空き地に、様々な野菜を集約的に栽培している。それは自給的であるが、朝市ではそうした小さな自給畑から、あらゆる農産物が運ばれてくる。この仕組みは中国社会の保全にとっては、大きな要素になると思う。
優秀な人材は都市住民権の試験を受ける。都市住民になり、都会のサラリーマンなり工員なりになることができる。50倍と言う難関らしい。と言う事は希望者が膨大にいることか。それに落ちこぼれた者と、農業経営者を目指す資本が構成する農村集落。そして、都市住民である、行政担当の管理による、地域社会の強い統制。問題があるというのでなく、ある意味成長の為の合理性に満ちた、制度でもある。この加積載の国の未来は。