稲刈り、脱穀

      2016/08/08

足柄平野では稲刈りが最盛期を迎えた。雨が続いていたので、中断していた稲刈りが一気に進む無だろう。昨日、今日と坊所田んぼの稲刈りだ。実は私は、参加が出来なかった。早朝に家を出て、水彩人の同人会があって参加できなかったのだ。今日は張り切ってやりたいと思う。

昨夜遅く、家に帰る途中田んぼに恐るおそる、寄って見た。きれいに半分稲刈りが終わっていた。満月の夜空から、降り注ぐ透明な光に、ハザ掛けした稲穂が、静かに眠っている。祭壇が田んぼに出来たようで、何とも有り難い光景だった。ぬかるんだ土が、一日の奮闘を表していた。これは大変なことだったと思う。人数を聞くと、7人の参加だったそうだ。今日もそれくらいで、やることになる。

隣の田んぼには猪が出たそうだ。ハザ掛けした稲をすっかり食べてしまったと嘆いていた。来年は借りていた田んぼを返すと言われていた。あの日陰の条件の悪い田んぼをどうしたらいいのだろう。私たちが借りたらどうかと言う事を、暗に言われているようだった。思案のしどころだ。そこは冬季湛水も出来ることはできる。そうしたら、猪のぬた場になるのだろうか。

早朝、東京に向かったのは水彩人の同人会議だ。10時から水彩人の新しい同人を迎える、集まりだった。青木伸一氏を新しい同人として迎えることになった。この同人の検討会議は最も重要な場なので、それは、激しい議論も交えて、真剣に行われた。このときに、各自の考えている、水彩人に対する思いが、集約されるので、意見も活発に出る。私は進行役だったので、皆さんの意見交換が上手く進むように専念したが、充分できたかどうか。

青木伸一さんは1951年生まれ、コンクールで活躍されている人だ。今まで、コンクール的な作家が居なかったので、この点では、大いに期待されるところだ。
次に決めたのが、招待する人達だ。毎年、各同人が推薦して、やはり相当の話し合いが行われ、決められる。これも議論が百出したが、何とかまとまった。稲刈りに出たかった。

小田原駅に、やっとたどり着いた具合で、お城の駐車場に向かって歩いていると、「おわら風の盆」と書いたものが目立つ。ああそうか、今日だったか。しかし、こういう他所の民俗芸能を、持ってくるのは、○○銀座リオのカーニバル、見たいでどうもいただけない。困ったものだ。などと思いながら歩いていた。あちこちに竹筒が結ばれ、ススキが生けられている。なるほど、あの人の感覚だな。等と思いながら、

すると例の胡弓の音が響いてきた。変に外れた、不思議な調子が聞こえる。フラフラとひきつけられて、人ごみをかき分けると、一気に魂が抜かれてしまった。その後、息も出来ないようにその美しさに、魅入られたままだった。その後自分がどうしていたのか記憶が無い。そのしぐさのさびしい美しさは、消え入りそうで、いたたまれないような動きだ。時々切れたように止まるときの呼吸が、息を飲む。動き出すとホゥと空気が変わる。いつの間にか終わって取り残されたようになっていた。

この気持ちのまま、田んぼに行ったので、田んぼの美しさが別の世界に見えたのだろう。いのちが帰ってくる、その葬列のように練り歩く、盆踊り。そして、いのちがふつふつと煮えたぎって、列を成しているハザ掛けの稲穂。どちらも満月の月光に照らされて、この世とあの世の行き帰りを、示していた。

 - 10月, 稲作, 農法(稲作)