格差社会と再チャレンジの問題点

   

あしがら農の会は新規就農者を支援している。この地で、様々な世代の者が、現在、14家族、農業分野を生業として暮そうと、それぞれにやっている。会として各自の生活を直接支援すると言う事は、出来ないが、普通に農業分野で働いてゆきたいと言う者が、何とか農家として成立するよう、土地の斡旋や、最低限の機械の提供、あるいは技術力向上の為の場の設定など、精一杯の手助けはしている。大したことも出来ないわけで、当然のことだが、各々方向は違うが、それなりの努力の人、あるいは最大限の努力をしている人がいると思う。

少し、生業としての、活路が見えてきた人も居る。相当困難そうだ、と言う人も居るのが現状である。私自身もそうだが、農業分野で生計を立てるということはきわめて難しい現実がある。それは実はどの分野でも同じで、喫茶店をやりたいとしても、それを生業にするのは、それなりに難しい。しかし、農業分野は少々状況が違う。たとえれば、炭鉱夫になりたいと日本で言っているような、傾向がある。

しかし、炭鉱夫が好きだから、どうしてもやりたいと言う気持ちがあるとしても、これはもう日本では諦めるしか無いだろう。それに近いものが、林業にある。林業家を夢見て、山仕事に精を出しても、生業としてやり遂げるには、不可能に近い困難が予想される。農業もその次ぐらいに困難な仕事だ。農地は貸してもらえる。こんな時代はかつてなかった。その点はいい。

私の家の養鶏を例に挙げると、現在、鶏は380羽位居る。その内、まだ卵を産まない鶏が、180羽居る。その他、雄鶏が、20羽、鶏種保存の為の笹鶏が50羽。だから、主力の産卵鶏は、130羽程度だろう。現在、産卵は日に50個程度に落ちている。1個55円で販売する。日に3000円に満たない事になる。産卵の多いい時は、150個は越えるが、それでも、8000円ぐらいです。この間が平均として、日に5500円位が荒利である。労賃を除けば、(この考え方がすごい事なのだが)一日の出る費用は、1000円程度。それで、建築費(10年で償還として)やその他の整備費を一日1000円と見て置くといい。すると、月に10万円の収入に成ればいいという状態だ。

果たして、この状態で、生業として取り組める人が居るだろうか。私は鶏が好きで、自分の鶏種を作りたいという夢があるから、それでもやってきたが、もうだめかなと思いながらの継続である。こんな状態だから、人に薦めるのは、本当に心苦しい。自然養鶏に取り組むと言う事は、誰がやってもこんなことになる。それならもっと卵を産む様にしよう。大量に飼おう。鶏を虐待的に扱うのも止む得ない。こうして、企業養鶏になって、食べ物を作っていると言うことの本質を忘れてゆく。

一番大切な、食べ物を作る思いを、捨てなければ、養鶏は生業に出来ない。こんな状況が、日本の農業を取り巻いている。「こんな野菜、家じゃ食べないよ。」と言いながら、商品として野菜を販売する農家だけが、何とか生き残れる社会。

こうした、社会条件を今のままにして、安倍晋三氏の再チャレンジとは何を意味するのか。要領のいい人間の再生産をすることに成るだけだろう。再チャレンジの場も用意した。生きてゆけないのは、社会に順応できない、無能なお前が悪いのだ。いよいよ、逃げ場の無い社会を、言い訳できない条件を作ろうと言うだけになる。

格差の根源は食を40%しか自給しないと言う、日本の社会構造と、それを良しとする、政治にある。

 - Peace Cafe