民主的運営とブログ
PeaceCafeはフリーペーパーを発行することが目的ではなく、ベースはインターネットによる情報発信だと思っています。
そこには、自分のBlogに何を書くかの意思統一も内容的な圧力もないのですから、思いのたけを思いっきり書くことにより、Peaceな発信を出来るのですから、編集とは関係なくなります。
もう少しBlogの発信者が多くなったら、PeaceCafeの表紙のURL(サイトへのアドレス)を目立つようにして、フリーペーパー以外の発信に重点を置くようにしたいと言う意見を僕は持っています。
Blogはそういう意味では民主主義です。その民主主義の代表であるBlogにつなげるような紙面にしていければ良いと思います。
以上が、Takeさんのご意見です。
長くなりそうなので、本文でご返事を含めて書いて見たいと思いました。これはブログがどんな役割をになえるか、という事なのだと思います。私自身は、ある側面では、個人の発信の情報に、マスメディアの立ち入れない真実があると、感じています。和田氏の盗作問題で、このことを確認しました。私自身も知ったことを書いておく必要を感じ行いました。
他の方のブログを読ませていただいても、この人がこのことに対してなら、マスメディア以上に信頼できるという、情報源があります。私なら、鶏のことや、トリインフルエンザのことなら、私なりに情報が出せると考えています。それをどう捉えるかは、読み手の自由選択であり、このブログの集積の方が、真実に近い事も、何度か経験しています。
特に、トリインフルエンザのように、立ち入り調査が出来ない場合、起こっている地域の発信という事は、大変大きな確実な情報源になりました。それは県当局の把握する所より深い真実が、確認できたという体験でした。こうした情報の蓄積に基づき、農水省と交渉しました。真実は強い事ですから、農水の政策転換に影響を与えられたと、考えています。
このブログの役割に、一つの輪を持たせる。これがピースカフェの方向ではないかと、私も感じています。ピースカフェには、暮らしの日々の空気を伝える、ブログがいくつもあります。これが、集積してゆく事で、全体として、平和な暮らしとは、どんなものであるか。伝えてゆく事ができるのではないかと、少しずつ確信を深めています。
ブログは、あくまで各人の裁量で出来ています。責任で発信されます。編集も、カットも、没もありません。
ピースカフェという大きな枠はあるにしても、その細部は千変万化であるでしょう。これが民主的ということの意味だと私は思っています。異なる者の個性が、異なるままに輝いて、しかも全体では、一つの個性では出す事のできない、新たな総合性を持ったトーンが表現される。
全体を取り巻く物がトーンだあるというところが重要だと思います。ここを煮詰めるのが、従前の組織論だと思います。先ず目的が存在し、その目的を一つの結論に絞り込む事が、論理性のみで問われる。論理化することを唯一の判断基準にすることで、暮らしそのものから遊離してゆく。
個々人の個性は重んじられることなく、組織の目的に埋没する。平和を求めると観念では主張しながら、平和を求めるためにテロを行うことと同等に、これでは暴力的な暮らしではないだろうか。
平和に、安寧に暮らす。個々人の平和の暮らしそのものが、平和への道だという確信。これがピースカフェを取り巻く、トーンだと思います。
これをトーンのまま、取り巻く輪を作り出すこと。確かにこれが少し見えて来ていると思います。私はピースカフェのブログ集を回りながら、それをはっきりと感じます。
ブログが増える事、又、このピースカフェという輪をどのように、伝え、広げてゆけばいいか。わたしは本気で期待しています。