焚き火

      2016/08/08

この所、3日間焚き火をした。南足柄市は1㎡以上の焚き火は条例で禁止されているそうだ。しかし、そこに生えていた木を片付けるような場合、畑で、剪定したみかんの枝など、燃やすのがどこがいけないのだ。と私は勝手に思っている。

実はそのくらい焚き火が好きだ。これは子供の頃からで、焚き火と言うと止められなくなるぐらいすきでった。何やかや、毎日やっていた。風呂も薪だったので、当然係りだった。竈に火を起こすのも、チャンスがあればやらしてもらった。しかし、子供が火遊びすると、寝小便をするといわれてもいた。

かなりの年まで寝小便をしていたので余計に言われていた。その頃おじいさんが、寝る時に、無理やり半分寝たまま、トイレに連れて行かれるので、おじいさんが連れて行かない日は、必ずすることになった。

焚き火は文化だと思う。これを禁止するのは、捕鯨どころでない。焚き火を囲んでお年寄りの話を聞くと、これは、素晴らしい集まりに成る。普段口の重い年寄も、昔話に花を咲かせることになる。多分、人類が人類になった頃からの文化だ。これを、公会堂などで、名士を呼んでの公演となると、話の傾向は既に決まっている。人前で抵抗の無い厚顔無恥なタイプの話となる。

しかし、私達が暮らしの中で本当に伝えてゆかないとならない知恵は、案外無口である。声高に語れないことで在ったりする。以前酒匂川グリンフォーラムで作った縄文の家は中央に、囲炉裏を切って、それを囲んで20人位が、話を聞いた。歌をうたった。この集まりは今途絶えてしまったが、再開しなければならない集まりだと思う。

焚き火が素晴らしいのは私達の遺伝子に、組み込まれている何かが、引き出されてくるからだ。普段、踊りなど踊りださない、恥ずかしがり屋でも、垣根を越えて踊りだせる。どうも体裁屋が多くなっているので、これを取り払い、仲間が一体化するにはいい仕掛けだと思う。この夏の酒匂川の花火大会には、是非、天子台の縄文の家で、焚き火を囲みたい物だ。

裏の竹林の竹を燃しているのだ。大きな穴を掘って、その中に枯れた竹を放り込んでは燃やしている。10日間燃やすと、なくなる計算で、3日間やったので、後7日やらないと片付かない。体の節々が痛いぐらい力を入れているのだが、田んぼの作業が始まるし、冬眠明けの丁度いい準備体操にもなっている。

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