文化国家日本を目指そう。

   



 プーチンとトランプはよく似ている。世界の害悪を作り出すどうしようもないところが瓜二つだ。トランプ氏は驚くべきことに、プーチンのウクライナ侵攻を天才的な手法だと評価している。プーチンをよく知る自分ならばウクライナ侵攻をさせなかったと主張している。

 つまりプーチンの悪の天才を読み切れるだけの悪事を自分はしているとトランプは言っているわけだ。世界はこういう悪人が選挙で選ばれる時代になっている。世界がどうしようもないところに来ているから、悪人のほうが政治家向きで、まともな人間では頼りにならないと言うのだろう。

 昔からアメリカ嫌いなところは、アメリカに潜在していた、トランプ的な資質だ。自己本位で人に対する思いやりがない。行き過ぎた能力主義のために、弱いもの能力のないものを、平気で踏みにじる横柄な態度だ。もちろん、一方のアメリカにある限りない博愛的な精神は尊敬しているのだが。この両極がどう共存しているのか理解しがたい。

 プーチンはウクライナの病院や学校へのミサイル攻撃を、ウクライナ自身の自作自演だと主張している。誰が考えてもそれほど馬鹿げたことを自国民に出来るはずがない。それを出来ると考え、世間もそう考えるはずだと。主張しているのがプーチンなのだ。プーチンならやると告白していると言うことだろう。原爆だってやりかねないというのが本音だ。

 ウクライナ政府はネオナチだと繰返し主張する。一方的な軍事侵攻を行っていながら、良くもその被害国の大統領をネオナチだと言えるものだと思う。誰が考えても不自然な発言を堂々と主張してしまう。余りにひどい嘘でも国の代表が堂々と主張すれば、それなりに通用してしまうらしい。

 世界はそういう悪い空気がすこしづつ広がり始めている。戦争の時代にさしかかっているのかも知れない。この76年間の平和の時代の方が特殊な時代だったような気がしてきた。戦時が平時で、平和は特殊状態だったらしい。人間は争いごとが好きすぎる。

 トランプは自分が大統領として再選の選挙戦を行った。いわばその選挙の責任者である。そして選挙で敗れた。すると選挙は不正な物だったと主張して譲らない。不正ならそんな不正を許した大統領が最悪と言うことになる。不正の根拠を示せば良いのだが、不正の根拠は自分が選挙に負けるはずが無いという思い込みだけだ。ただプロパガンダとしてあえて根拠のないことをひたすらに主張する。

 少なくともロシアではプーチンますます支持をされている。アメリカでも選挙で一度はトランプは選ばれたのだし、今もって極右勢力には絶大な人気がある。プーチンは病気らしいという憶測が流れている。余りにまともではない主張をするので、頭がおかしくなったのかと見えるからだろう。トランプだって病気に見える。

 もう一人似たような人物がいる。北朝鮮の金正恩である。三人そろえば「三バカ大将」である。昔のテレビでそういうスラップスティックコメディ があった。余りの馬鹿さ加減が大受けなのだ。底のないバケツで水を汲むようなギャク満載だった。

 考えてみれば、日本でもアソウ、アベ、スガはそんな傾向がある三バカ兄弟だ。言うことがまるで漫画。こんなことを書くと侮辱罪になる時代が近づいている。しかし、当人たちは大真面目。真面目であればあるほど、何かずれが目立って気になるのはコメディーの常道。昔の衛星放送のような音声が遅れてやってくるような、真実味のなさ。

 その時代とのずれの部分こそ、本音の感覚なのだろう。本音が垣間見えるだけで後は建前ごとを述べる人間。本音と言うか生まれつきというか、ここには論拠がない政治家達なのだ。いつの間にかすり込まれた思い込みから来ているから腹話術の木偶人形に見えてくるのだろう。

 この碌でもない連中が世界を揺るがす権力者達なのだから、笑っている場合ではない。トランプはメキシコ国境では、プーチンのウクライナ侵攻から大いに学べる。とまで主張しているのだ。一体何が学べるというのか狂気である。

 世界はなにかが狂い始めている。その結果こういう権力者が登場しているのだ。その原因は結論から言えば競争主義である。勝つことが正義なのだ。勝者はあらゆる事が許されるという妄想である。経済競争が限界を超えたのだ。

 残ることは勝つためには悪事を働いてもかまわないという所に行き着いたのだ。経済が良くなれば、他人がどうなろうとかまわないという限界の争い。こんな世界は耐えがたい。どこかへ逃げたい。そうも行かないのが地球という一つの星だ。

 日本はその競争から脱落した。あらゆる分野で世界から周回遅れになり始めた。これは政治の責任だけでは無い。日本人全員の責任なのだろう。新しいことに挑戦する機運が失われた。政治がそうしたと言うこともあるが、これが日本人の限界だったような気もする。まあ良いじゃないかと思う。

 明治維新以来、富国強兵で結局第二次世界大戦の徹底した敗北を喫した。それで目が覚めたように、エコノミックアニマルで頑張ったのだろう。それなりに達成したような気になって、もう頑張りすぎるのは格好悪いと言うことのような気がする。日本を高度成長に導いたのはブラック企業だ。


 日本にはもう一つの頑張らない文化の流れがある。禅の哲学。茶の湯。農本主義。能や琉球舞踊。絵巻物。浮世絵。園芸文化。江戸時代の経済停滞期に文化隆盛の時代を形成する。これも経済成長のジャパンアズナンバーワン時代以上の、日本独自の世界に誇れる文化隆盛期を作り出している。

 日本は方角を変えるほかない。経済競争はトランプやプーチンにお任せして、競争から降りて日本独自の文化国家を目指せば良い。日本人にはその降りる資質の方が世界で特別だと思う。文化で世界に影響を与えるぐらいの国になれる。

 経済だけではないと言うことを競争に負けて、文化で方向を示せば良い。文化には勝ち負けがない。競争がない。それぞれの物だ。それぞれが文化的に一日一日を充実させて暮らせばそれで十分なことになる。日本人にはその資質が充分にある。

 現代の若者は肉体労働を嫌うらしいが、その柔なところは文化人には向いているかも知れない。文化は深めるだけである。お茶を飲むというようなことを命がけの物に出来るのだ。絵を描くと言うことも同じだ。絵を描くことにすべてをかけて充分おもしろいのだ。

 文化国家日本に向けて一日を大切に暮らして行こう。一日ボーとしているのも文化だ。文化がなければボーとなどしていられる物ではない。今日本の方角を、少しだけでも変えれば、行き着く先は随分違うことになるだろう。
 

 - Peace Cafe