中国「千人計画」の何を問題にしているのだろうか。

   


 石垣島のパイナップル畑 パイナップルは台湾の人が苗を持ち込み栽培法を石垣島に広め、確立したものだ。今竹富島で牛車を引いている水牛も台湾の人達が教えてくれた。そのほか台湾から持ち込み学んだ農業機械も八重山農林高校に保存されている。

 中国「千人計画」に日本学術会議が協力しているというデマが拡散されているそうだ。そういうサイトを見たこともないので、状況は分からないが、自民党右翼議員の甘利明氏が書いた文章がデマの元になっているという。最近文章を書き換えたと言うから、当人にも何らかのデマ的な自覚はあったのだろう。

 現在行われている中国の千人計画というものは知らないことだったが、私も中国鎮江市の指導員として登録して欲しいと頼まれたことがある。自然養鶏の指導を鎮江市でやって欲しいというのだ。しかし、自分の養鶏で必死だった頃だから、そうした協力も残念ながら出来ないことだったのでお断りせざる得なかった。

 心情的には中国に行って是非指導したいと言う気持ちだった。それくらい中国の農家さんは意欲的だし、やりがいがありそうだった。まだ貧しかった中国なのに、指導員の条件も破格だったと思う。中国は好きだったし、少しでも暮らしを改善しようという村ぐるみの意欲にはうたれるものがあった。村が一つの企業体のようになっていて、有機農業村というようなものがあった。

 そうした次の農業を目指すためには、誰の力でも借りたいという意欲に溢れていた。実際にすでにリンゴの有機農業の指導に退職後の農水関係の技官の方が行かれていた。その方の経験を聞いていても実にやりがいのあることだと分かった。あのときもし方向を変えていれば、笹村方式の自然養鶏も中国で定着したのかもしれない。

 農文協の事業として、中国で農業書の出版を企画したのだろう。現代農業の中国版のようなものではないかと思う。特に日本の発酵技術を利用した農業がテーマであった。中国の人達も発酵技術には自信があるようで、そうした人が集められていた。研究交流という形だった。

 日本にたいした発酵技術などあるはずが無いと決めつけていた、向こうの研究者と意見交換している間に、急に真摯に態度を変えた。謙虚な科学者の態度に変わった。発酵飼料の製造方法には、是非見に行きたいと言うことで、その後見えることになったほどだ。嫌気飼料と好気飼料を混合する方法は是非採り入れさせて貰うと言われていた。

 特に食品残渣が中国では無いと思い込んでいるようだった。最初の内は中国では出汁を取る文化は無いなどと言いきる人さえいた。それではお茶柄は出ないのですか。ミカンジュースはないのですか。色々話している内に食品残渣の意味を理解してくれた。

 食品残渣を探すための実際を話した。すると助言に従い、すぐに翌日には探してきたというのだ。受け入れる力がすごい。日本ではいくら話しても、小田原にはあるだろうが、自分の地元には無いと決めつけて終わる人が大半であった。

 やりがいが中国にはあるのだ。中国人は優秀な人は極めて優秀である。日本はたちまちに追い抜かれるに違いないと思った。人間力の差である。しかも国がそのひとりひとりの力量に応じて、意欲に応じて後押しをしている。村ぐるみにすぐ成るのだ。上の畑で農薬を使っていれば、すぐに止めさせてしまうのだ。

 日本から現代農業に記事を書いていた人を10人ほど集めて、後援会や現地農家の指導などを開催した。2007年5月と2009年9月の二回行われた。中国にはそれより前の2000年に絵画交流事業で行ったので、その間の変化の大きさに驚いたものだ。だから、それから15年が経ち、今の中国は日本の倍の速度で高度成長をして、様変わりしているのだと思う。

 中国については高校生の頃は中国オタクと自称できるほど、中国に関しては興味を持っていた。内藤湖南全集を購入して、何度も熟読したほどだった。日本の中国古典研究は本家の中国以上だったのだ。中国絵画の研究など今読んでもすばらしい見識だと思う。
 
 中国の千人計画というものは日本の優秀な学者を招こうと言うことも含まれているようだ。当たり前のことでは無いか。明治政府はお雇い外国人によって文明開化をしたのだろう。国の成長のためにどこからでも有能な人を集めると言うことは健全なことだ。学問を色分けしようなどと言う愚かな政府とは違うのだ。

 中国では確かに最先端科学はまだ遅れがある。基礎研究の遅れである。中国は実務的な国だ。明日の商売に繋がることなら、研究が進むがノーベル賞を取るような基礎研究には遅れがあるのだろう。日本もすでにこの点が手薄になり始めている。

 しかし、次の世界に繋がる研究には基礎研究こそ必要である。日本ではその基礎研究がないがしろにされてきている。例えば、種苗の改良もお金にすぐ繋がる、種苗会社の研究に学者が協力しろという方向である。長い目で見なければその意味が分からないような、基礎研究は切り捨てられ始めている。

 こう言う日本の学問研究の流れの中で、切り捨てられる人に中国からその研究を続けて下さいという誘いがあれば、喜んで中国での研究を選択をする人はいるだろう。日本でノーベル賞を受賞するような人はアメリカで研究をしたような人が多いのだ。

 すでに日本の学問の環境がひどいことになっているのだ。研究を続けたくて、中国へ行くことが悪いことだなぞ言えるのだろうか。研究環境のよい国で、良い頭脳が良い研究をすることは、必要なことだ。奨励されるべきことだろう。

 最後に日本の現状を引用しておく。

 新設の研究所で自分の研究室を持ち、給料に加えて用途に制限のない資金が5年分で約5千万円支給された。研究成果の要求は厳しいが、「成果を上げた研究者への報酬は日本より断然多い」(高畑氏)。

  国立天文台の梶野敏貴教授(64)は16年10月に北京航空航天大学のビッグバン宇宙論元素起源国際研究センターの初代所長に就任した。理論物理学の権威として熱心に招請され、提示された年俸は中国で働く他の教授も上回った。日本には籍を残しつつ、研究活動の半分は中国で行う。梶野教授は「中国の学生はやる気が高く、教える側のやりがいがある」と語る。

 中国はとっくに日本を抜いている科学大国であることは疑いようがない。文部科学省が発表している「科学技術指標2020」によれば、注目度の高い論文数でトップのアメリカはシェア率24.7%だが、中国は肉薄しており、22%とトップ2と呼んでいいほどの成果を上げている。

 18年の科学技術予算は中国が28兆円に対し、日本は3兆8千億円と7分の1。また日本の大学教員に占める40歳未満の比率は16年は23.4%と過去最低となり、若手が職を得るのは難しい。
 

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