段々畑の水漏れの改修工事

   



 川沿いの谷間の段々畑はいつも直していなければ水漏れを始める。毎年冬にはどこかの田んぼで改修工事をしてきたようなものだ。一番の原因は田んぼの下に水路がいつの間にかできている。畔際を深く掘るとその穴を発見できる。初めはモグラやオケラの穴が、始まりなのだろう。

 斜面の為に、どうしても高いところから低いところに向って、水がしみるように流れ始める。川に向ってあちこちから水が染み出しているような感じなのだろう。斜面の地下の水が徐々に集まり、田んぼの下に水路のようなものが出来ることがある。

 ネズミやモグラや沢蟹などが穴を空けてその田んぼの下の水路に田んぼから穴が繋がってしまう。すると、田んぼの真ん中からでも水漏れが始まることがある。そうした田んぼの地下水路が徐々に広がり、手が付けられないほどの水漏れになることがある。

 久野は谷間の村で、中央に久野川が流れている。斜面の南斜面に多くの人が住んでいるのだが、その斜面には列状に湧水がある。湧き水は歴史によって染み出る標高が変化しているそうだ。それで集落は湧水の場所に併せて上下に移動して暮らしていたらしい。

 南舟原営農組織という形で、中山間地の補助金を頂いて活動をしているこれで6年目になる。補助金はすべて、田んぼの改修工事に使ってしまう。圃場全体では1.5haくらいである。補助金の対象はそのうちの1ヘクタールぐらいに対してである。土地の条件が田んぼなら補助対象になるという程度の緩やかな傾斜の状態である。

 1.5メートル程度の石積みが、8段ある。関東大震災の時に一度田んぼ全体が崩れたことがあるそうだ。その後、わきを通る道路にバスが通ることになり、拡幅工事が行われた。その時に田んぼの土をだいぶ入れ替えたという事らしい。田んぼの中には地主さんの作られた一本軽トラックが入れるように道路がある。

 石積みは自然石の手積みである。景観的にはとても美しい田んぼなのだが、年々水漏れが起きるようになっている。田んぼの下に水路が出来てしまっているのだと思われる。上半分は亡くなられた下田さんという方が、手作業で作られた田んぼである。下の半分は舟原に越してきてから、お借りして私が管理をしていた田んぼである。下田さんは情熱を持って田んぼの改修を行われていた。

 亡くなられた後も、下田さんが田んぼを精魂込めて作られていた姿が忘れられない。中央を通る道は7年もかけて、段々に軽トラックが通れるように広げた。コンクリートも手打ちで少しづつ前進した。農協に勤められながら、見事に道路を一番奥にあるため池まで進めた。そして、田んぼの田んぼ石積みも積み直したのだ。

 農業者の模範となる立派な姿を目の当たりにしていたので、田んぼを維持しなければ、あしがら農の会として申し訳がないと思い、お借りして引き継ぐことになった。そして一年経過してこの冬に水漏れ箇所の改修工事を行う事になった。水漏れがひどくて直さざる得ない状況なのだ。

 大きくは2か所の石積みで、35mの長さで、高さ1.5メートルの石積みと畔の改修である。石積みには触れない様にして、30㎝離して、石積み沿いに1メートル以上の穴を掘る。そして水道をつぶしながら、土を入れてはタコで叩いた。

 石積みが壊れない程度埋めたならば、また畔際の30センチ幅の畔をユンボで削って、もう一度土を積み直してゆく。こんどは上からユンボで踏み固めてもらう。そして、最後に石垣に沿って土の畔を作る。これは土を運んだだけ幅広で、高さも高く作る。土は軽トラダンプで45杯運んだ。

 穴を埋め戻す時にできるだけ固めたいのだが、押してしまうと石垣が崩れてしまうので気を付けながら、出来る範囲でのことになる。2台のユンボを使うので、一台で外側から押さえながら、やれないかと思っていたが、一台で何とか工事は出来た。できる限り石積みの裏側を固めなければならないので、埋め戻しが終わってから、石積みの外から緩んでいそうな石を押し込んで固めることになるかもしれない。

 奥の大豆畑も急傾斜だったのだが、だいぶ平らになった。これで田んぼの直しと、奥の畑の改善の両方が出来た。今度は耕作がしやすいかと思う。今回できる限りのことをやっておけば、長く農地として使われると思う。

 舟原で一番良い田んぼと畑だ。この耕作地を大事に使わせてもらわなければ、人としての役割が果たせないと思っている。人は長くても100年交代である。農地は何千年でも使う事が出来る。それが里山の手入れを続ける東洋4000年の循環農業なのだと思う。

 時代は様々な形で変化していくのだろう。しばらくは良い方向には進まないようだ。こうした時代には自給を出来る範囲で確保して、心の安定を得ることはとても大事だと考えている。「植木鉢一つの自給から」。これは昔、そらやさんが提唱された、苗の会の考え方だ。

 農の会で苗作りをして、野菜を購入してくれる方々に販売をした。それは食べる人と作る人が、一緒になって農業をして行くという考え方なのだと思う。私はにらの苗を担当して作った。野菜の苗を一つだけでも育ててみる。作ったものを食べてみる。このことで心が変わる。植物の気持ちに寄り添う。植物が寄り添ってくれる。自給は心の問題でもある。

 自給という事は植木鉢一つからでも始められる。ニラなど買えば安いものだ。こう考えることが普通だろう。間違っているわけではない。手間暇かけて自分で作るよりも、経済的合理性がある。しかし、人間の安定は経済合理性だけでは図れない。自分が食べる食べ物を作ってみる。そこにある充実を感じとる。あんしんが広がってくる。

 鉢一つの自給の心が、繋がり合えば、みんなの自給が始まる。その為には農業者も、食べる人も、地域の農業を共に支えて行かなければならない。安い外国の農産物が途絶える日が来るかもしれない。その時の為にも、自分で食べ物を作る安心立命の道を確保する。

 だから、少々耕作不利な田んぼでも大切に維持しなければならない。1ヘクタールの田んぼがあれば、6000キロのお米がとれる。50家族が自給をすることが出来る。棚田を維持することが農家にはもう難しいことなのだと思う。

 水漏れは少し始まった時に手直しをすれば、大ごとにならないで済む。そもそも水漏れを早く発見すること自体が難しい。棚田で2日も見逃していれば、大崩れしてしまい直しも大変なことになる。手がかかるのが棚田の耕作である。農家の人にそれをやれという事は到底無理である。

 しかし、水回りであれば、お年寄りでもできる。田んぼはみんなで協働で力を併せれば、それほど大変でなく耕作できる。それが日本人の集落の原型である。またそういう事が必要な時代が来るのではないか。そう思って頑張って、田んぼの改修工事を続ける。
 

 - 「ちいさな田んぼのイネづくり」