民主主義は良識で作られる

   

 

 トランプ大統領は往生際悪くごねている。確かにアメリカの裁判制度を考えると、ごねていれば大統領にねじ込める可能性も無いとは言えないようだ。余りに長く、選挙人が決まらないとすると、上院で決めると言うことになる。上院では共和党がわずかに多数派である。

 こういう常軌を逸した指導者が選ばれてしまったとき、民主主義は非常にまずいことになる。日本でも前代未聞の安倍長期政権がでたらめをやり尽くして辞めてくれた。これでアベ氏が止めてくれたからまだしも、まだまだ粘っていたら、日本はどうなっていただろうか。

 安倍氏の後だらだらとスカ政権になった。実務型だろうと想像されたが、何と間が悪いというか、アベ政権の最後っ屁を浴びた。学術会議推薦者任命拒否である。それがだんだん菅氏の本質だったという事が分かってきた。嫌らしい人事課長の様な総理大臣だったのだ。人間の出世意欲を操作して動かそうという最悪の人間性。

 こうした人が総理大臣の場合、官僚は委縮する。まともな人は官僚を止める。日本をなんとかしたいと思うような人が、官僚にはならない。子供の頃聞いた話では「一番優秀な人は大学に残り学者になる。次に優秀臭な人が官僚になる。いずれにも成れない人が企業に就職する。」今はどうなのだろうか。

 トランプにはアメリカの利益よりも、自分の利益の方が上にある。一国主義であると言うよりあからさまに利己主義である。こんなアメリカの姿をさらしている大統領の国は、すでに良識ある民主主義国家では無い。アメリカの信用を支えてきた正義、自由と民主主義は完全に失われてしまった。

 利己主義者トランプの方が良いという有権者がアメリカ人の半分なのだ。この人間の劣化はどう考えれば良いのだろうか。民主主義はあくまで良識で支えられる。能力主義と言う競争が人間をこうした浅ましいものにしてしまうと言うことなのだろうか。

 良識が失われれば、民主主義も失われる。民主主義は良識が育たなければ健全に機能しなくなる。良識が育つためには能力主義はだめだ。人間の能力は様々である。その高低を云々するよりもそれぞれの自己研鑽を出来る社会を目指すべきだ。

 一人一人が、生かされる社会にならなければ、民主主義は失われる。人事によって人間を操作しようという社会では、民主主義は育たない。桜を見る会に出席できる光栄を餌にするなどとんでもないことだ。桜の会ではしゃいでいた芸能人の立場の嫌らしさ。

 人間は自分のためを越え、人のためになると言うときに本当の力を発揮できる。人間はそういうすばらしい生き物だと信じている。現代社会は一見トランプのような、あるいはホリエモンのような、あるいはアベ氏のような。要領が良い利己主義で成功するように見える。

 それを不正義として、最終的には利己主義者はひどい目にあうという、結果がなくてはならない。悪を否定できる社会を作らなくては成らないのだ。確かに安倍氏が政治資金で選挙民を桜の会に招待して、前夜祭を一流ホテルで盛大にやったとしても、逮捕はされないだろう。

 しかし、どこかで正義の眼がそれを判断する社会でなければ、民主主義は成立しない。やっぱり悪い奴は最後はひどい事になるもんだね。こういう結末がなければ、次なるアベのトランプ氏が登場する。アベのトランプ氏を見ていると、韓国や中国の指導者も同様に見えるのだ。

 世界中がこうした、利権主義者が横暴を振るう時代に入っている。しかも、ひどい指導者ほど、国際競争とやらに勝利する。この流れはどうにも止まらない。正しい道を生きようとすれば、能力がないからあんなひがみを言っているのだ。上の階層に登ってきてから、意見を言えと言う社会だ。

 豊かになれば、少しづつ社会は良くなる。人間もこすからくなくなり、気持ちに余裕が出来る。そう思っていた。ところがそうでもなかった。アベ政権時代に日本の善意は敗れた。正義の芽は摘み取られた。上の方でどうにかしえくれるどころか、上の方が下の者どもをいいようにあしらう時代になった。

 これが末期的な資本主義社会の様相なのだろう。その判断が当たっているとすれば、これから企業が国家を超えて動き出す。つまり資本の原理が国の枠を超えてゆく。政府が国家を破たんさせるとしても、企業は生き残るために国家を捨てる。国会が持つ統制力は失われてゆくのだろう。

 そうした、末期資本主義社会の中で革命が起こるのかどうかは分からないが、今できることは国家や企業という枠がなくなるとしても、生きて行ける自立ではないだろうか。人間は自給自足で生きて行ける。技術と仲間さえいれば、可能なことだ。

 コロナであらゆる活動が制限されている。コロナの時代は排除選別の時代である。政府は自助を求め、企業が優先される。しかし、自給自足生活は制限がないだろう。ないというよりも、制限されない自給自足を模索しなければならないのだろう。明日食べるものがなければ人間は生きることができない。このことだけははっきりとしている。

 小さな民主主義の仲間を作る。利害ではない人間関係を構築する。孤立しないことだと思う。社会は今後さらに悪くなってゆく。コロナではっきりとしたように、利害と競争は深刻化してゆく。弱者は切り捨てられる社会になる。正義を主張するものは切り捨てられてゆく。

 この中では通じ合えるもので連帯する以外に人間らしく生きることはできなくなるのだろう。そういう暗い予感がしている。コロナはそうした次に来る時代を、表現してくれている。自助という名の弱者切り捨ての時代である。

 問題は自立して生きる人間は連帯の方法を見つけにくいという事ではないだろうか。社会はそうした人間をはじき出して、見えにくくしている。競争主義を破壊するものとして、社会は自立した人間を部外者として排除する。一人で自給自足で生きることができたとしても、連帯のために壁を突破することに疲れる。

 自給自足は窓辺のトマトの鉢一つで始まる。自給の思いを一つの鉢を育てることに託せば、心が自立して自由を得ることが出来る。決して大げさなもの、頑ななものであってはならない。できる所から、妥協的に、いい加減に、緩やかな連帯である。

 

 

 - Peace Cafe