種苗法が成立
舟原田んぼの畔の改修工事が終わった。4日間の工事だった。ユンボ2台。述べ参加人数が、30人という事だった。
種苗法が成立した。有機農業研究会では、種苗法が出来ると有機農家が自家採取できなくなると抗議してきた。ずいぶんその理由を調べたのだが、どうしても意味が分からない。むしろ、何故このような抗議を強くしているのかの理由の方にだんだん興味が湧いてきた。
立憲民主党時代の農林水産大臣・山田正彦氏は信頼できる論理的な人である。長崎の五島で牛を飼っていた人である。そして世の中のおかしさをなんとかしようと弁護士になり、そして国会議員になった。その人が種苗法の反対の先頭に立ち、国会の前で座り込み抗議までしている。一体どういうことなのかと思う。理由がないはずがない。
『タネは誰のもの』という種苗法反対のドキュメンタリー 映画も観たこともある。それでもなぜ種苗法ができると、自家採種が出来なくなると主張するのか、どうしてもわからなかった。稲作を指導していただいた、稲葉さんも種苗法が出来ると大変だと熱気をもって言われていた。
しかし、その時もその理由を教えてくださいと質問したのだが、理由の詳しい説明はなかった。説明が分からないほどまだ耄碌していないつもりだが、何か私の理解の及ばないところがあるのか。頭の中がずれているようで考えるとイライラしてくる。
頭をすっきりするためにも、現在理解しているところを3回目になるが書いて整理してみる。
種苗法と自家採種を結びつけるから、おかしいのではないだろうか。種苗法を作り、国が種苗の研究を止めると考えればいいと思っている。国が種苗の研究を続ける力を失い始めているという事なのだろう。日本では民間会社や個人ではなく、国が種苗の開発に力を入れてきた。それは農業を国の根幹と考えてきたからである。
ところが政府は農業など不要だと考え始めた。種苗の開発に税金をかけるなど、無駄だと考えるようになった。国の農業研究予算は、種苗会社と連携するような明日にもお金になる研究に限定して使われるようになっている。未来のための基礎研究をないがしろにしているのだ。
それは学術会議の10億円を惜しむような考え方と繋がっている。国際競争にすぐにでも役立つ種苗の研究に集中すべきという事なのだ。その為には種苗会社が開発した種苗が、経営として成り立つものでなければならない。簡単に自家採取できないようにしなければ種苗会社が本気で新品種の開発をしないという発想である。
ところが、農業は国の本であり、万民共通の価値である。こうした江戸時代から培われた哲学がある。日本の種苗開発は国であれ、民間であれ、未来の日本人の為に、自分の利益など考えない優秀な研究者や徳農家によって行われてきた。
その伝統的な哲学を受け継いできたために、その成果を植物特許という形で独占する。資本主義的な思想を拒絶している部分があったのだと思う。種苗会社の中にも、野口種苗や自然農法研究センターのように農業のために会社の利益追求だけではない会社も多数存在する。
ところが、国が農業を切り捨てる中では国の抱えている農業研究そのものを縮小したいという方向がある。その為の種苗法なのだろう。種苗法を自家採種と結びつけるからおかしくなるのではないだろうか。種苗法が間違った方向であるのは確かである。しかし、自家採取できなくなるというのは間違えである。
そもそも伝統的作物であったとしても、どこかの誰かが作り出した品種である。それを自家採種する人は、自分も新しい品種を作り出して、後世の人たちに無償で提供する志がなければならない。自分が作り出した品種は人には使わせたくないというような利己主義者は、人が作った種を自家採種するなど許されないことだ。
自分が農業を行えるという事は、過去の膨大な数の農業にかかわる人たちの作り出した恩恵を受けてのことである。そのことへ思いが至らない人が、自家採種が出来なくなるなどいう事を主張することは出来ないはずである。それは自己利益のためだけの自家採種である。
有機農業研究会の会員であったころ、種苗交換会というものに、参加したことがある。総会と同時にでも行われていたのかもしれない。種苗交換というのであるから、当然自分の採取した種を持って参加し、他の人と交換する会と理解して参加した。
ところが、種を持って参加する人はごくわずかで、種苗をタダでもらえる会という実態だった。その時、3種類の種を30袋づつ持って参加した。一つは山北の正月に花が咲く菜の花である。あちこちで早咲きをしている菜の花の種を集めて、養鶏場に蒔いた。
その中から早く咲くものを選抜して繰り返し蒔いていった。大体が正月には花を咲かせるようになった。何故そういう品種を選抜したかと言うと、養鶏では草が減ってしまう時期がある。その時期に繁茂してくれる大型で、強権で、寒さに強い品種が欲しかった。
他には明日葉の種と山ウドの種である。これは別段珍しくもないが、いくらでも種がとれるので、採取したものである。そして三つの袋に、私の名前と住所を書いて、栽培した結果を教えてくださいと書いた。ところがなんと一人からも返事がなかった。自家採種に対する尊厳を感じていないと思わざる得なかった。もちろんそれ以来参加はしなかった。
何度も書いていることだが、有機農業の哲学は資本主義と相反するものだ。自分が発見したり、創造したものは万民共通の財産である。人間が農業に生きるという事は自分一人の為のものではない。有機農業はむしろこの点が重要なことである。化学肥料や農薬を使わないという事は、人間の為にその方が正しい方向だからにすぎない。
有機農研で農薬や化学肥料を使わないでも作れる品種を作出して、誰もが使えるように提供する。本来こうしたことをやるべき組織である。そうした実績がない組織が、自家採種が出来なくなると主張するのであれば、それは自分の個人的利害から出ていることに過ぎなくなる。
ササドリを作出したときも、その品種の持続のための協力を有機農研でも呼び掛けた。しかし、一人も協力してやって行こうという人は現れなかった。それぞれが品種を持ち、親鶏を交換しながら行う養鶏である。MOAの大仁農場の方は一緒にやろうとしてくれたのだが、これは残念ながら、私の努力不足もあり軌道に乗らなかった。
何度考えても種苗法の問題点は、国が作物の基礎研究から手を引き、企業任せにするためという事になる。この点が問題になるにもかかわらず、自家採種が出来なくなるという主張で、問題の本質が見えなくなってしまったのではないか。
農作物の研究は人類に平和をもたらすものと考えるべきである。日本の平和主義は食糧研究という平和的な手段で世界に貢献すべきだ。これから、世界人口が増加して、食糧危機が必ず来る。その時に日本の農業技術が世界の為になるというくらいの気概を持って、国には作物研究を続けてもらいたい。