多頭飼い崩壊とゴミ屋敷は似ている。

   



 出雲市の民家で8畳2間の空間に犬164頭が飼育崩壊状態でいたことを受け、公益社団法人「どうぶつ基金」が11月10日から不妊手術などを行うことを決めた。緊急支援物資や寄付を募集している。

 どうぶつ基金は2012年石垣島サザンゲート公園に猫が捨てられ、限界を超えた状況の解決のため、171匹の猫の去勢手術をかつて行った団体である。それから8年が経過した。今も、石垣島では「シッポの会」が猫や犬の譲渡会、ササンゲート公園の清掃活動を月一回続けている。又サザンゲート公園のネコ達に毎日餌を与える活動を続けている人達もいる。

 それでも今だサザンゲート公園には猫が捨てられ続けている。先月も子猫が5匹捨てられていたそうだ。ペットを飼う人達の基本ルールが守られていない。犬や猫を飼う以上、その生涯まで守ってあげなければならない。子供が生まれたら困るのであれば、去勢手術を行うのはペットを飼う人の義務だ。

  犬猫の保護活動は多頭飼いが一番の問題点になってきているという。犬や猫には何の罪も無いにもかかわらず、地獄さながらの状況たちまちに起こるのだ。殺処分0を目指す善意のボランティア活動の努力を無にするように、多頭飼い崩壊の深刻な状況が以前より目立つそうだ。

 多頭飼いに入り込んでしまう人は、何らかのことで社会から追い込まれた人だ。社会の病が背景にあるのだと想像する。社会体制のどこかが崩れている。多頭飼いは周辺の人も充分に把握している。行政も確認している。それでも抑止できないところが社会の病である。

 今から50年前であれば、ここまでの多頭飼いになる前に、周辺からの抑制が働いた。止めとけよと言うことになる。こういうことなる寸前の事件に2度遭遇したことがある。一つは悪質なペットショップの繁殖場が行き詰まって起きた事件。もう一つはおばあさんが猫に餌を与え続けて猫が増え続けた事件。

 どちらも、出しゃばって顔を出している内に終わった。出しゃばりが幸いしたというより、ペットショップの方は経営者が倒産したから終わったのだと思う。あのときの犬たちはどうなったのだろう。気がついたある日突然も抜けの空になっていた。

 おばあさんの場合はおばあさん自身が病気になり施設に入院した。ネコ達は集まって餌を貰っていたわけだから、徐々にいなくなった。他のエサをやる人の家に移動したようだった。その家にはその家の縄張りがあったから、猫はもめていたが、見る間に数が減った。

 多頭飼いの雰囲気はどこかごみ屋敷に似ている。ごみは生き物では無いから、まだましなのかもしれないが、社会の病という意味で似ている。異様な空気がただよっている。この病は現代病である。社会が生み出している病である。簡単に言えば、社会に受け入れられない何かが、多頭飼いに向かうこともあれば、ごみを集めることに向かうこともあるのではないか。

 日本には社会が成立していないのでは無いだろうか。日本独特の世間の枠に入らない人については、人との関わりがたたれる。崩れて行く人間を見守ることの出来ない周囲の人間。社会が失われ始めている。孤立無縁。疎外。競争。自己本位。増えて行く猫に歯止めがかけれないひとはいる。

 熊本県は、2016年の熊本地震後、保護犬の譲渡に向けた引き取りに対し、1頭一万円を上限に補助金を交付、一時収容する施設の整備費もボランティア団体に補助してきた。殺処分を無くすことは今や国民の合意と言えるのではないだろうか。

 多頭飼育の犬の引き取りをする団体によると、一頭引き取ると言うことには5万円の費用がかかるという。164頭引き取るためには1000万円近くの費用が必要になる。現状ではこのすべてをどうぶつ基金が寄付で集めようとしている。

 この費用は税金で補助すべきものではないだろうか。それはゴミ屋敷の清掃を税金でまかなうことと同じである。いつまでもボランティア組織の善意に依存していることだけでは、社会正義が通らないのでは無いだろうか。

 ごみ屋敷にしてしまうのも、多頭飼い崩壊を起こしてしまうのも、確かに個人の責任である。行政には直接の責任はない。しかし、今回の多頭飼い崩壊では、50匹に増加した時点で行政も把握はしていたのだ。そして行政的には何も出来ず、164匹にまで増大させてしまった。ここにいたっても行政には打つ手が無いのだ。

 それをどうぶつ基金は無償の行為をもって、この動物たちを救済してくれるという。どれほど有り難いことであろうか。大多数の国民は感謝していると思う。多頭飼いを起こしてしまった当事者も、内心どれほど感謝をしていることかと思う。

 行政はここまで放置しても手立てが無いという責任がある。その費用を負担すべきでは無いだろうか。理由付けには問題があるのかもしれないが、行政が対応をすべき社会的状況が生まれてきているとも言えるのではないだろうか。具体的な解決は行政だけでは無理なことである。どうぶつ基金のような組織の協力を仰ぎながら、行政がその費用を負担して行くことが望まれる時代になっていると思う。

 社会がそれだけ歪んできていると言うことだ。人間の疎外状況がここまで進んでいると言うことでもある。日本の社会を良き面でも、悪しき面でも支配してきた世間様が失われてきていることが原因である。行き過ぎた競争社会、能力主義社会がこうした人間崩壊を生み出している。

 その意味では、ゴミ屋敷も。多頭飼い崩壊も、日本社会の崩壊の前兆現象なのだろう。この時点でこうしたことが起こらないような、穏やかな共存社会を見つけなければならない。
 

 - 暮らし