コロナ不況が来る前にやること

   



 感染症の収束が2021年以降にずれ込むという「長期化シナリオ」では、わが国の実質GDPは48.8兆円(9.2%)程度、減少する。、①世界経済の減速に伴う輸出の低迷、②自粛などによる個人消費の抑制、③インバウンドの減少、の順番に悪影響が大きいことが確認できる。今回苦境に陥っている、観光、運輸、外食、イベント、レジャーなどは、よしんば感染症が収束して景気がよくなったとしても、一人の人間が2倍から3倍、消費するわけにはいかないので、失われた消費は二度と戻ってこないだろう。――大和総研

 来年も感染症は収まりきるとは到底思えない。このウイルスのワクチンは効果が続かず、安定性が無いはずである。このさきGDPが一割下がると考えておいて間違いがない。人によって影響は様々であろうが、すべての経済が平均で一割弱縮小すると言う見立てである。10個の饅頭が9個になるという感覚だろう。お客さんが100人だった会社は90人になってもやって行けるかどうかと考える所。

 平均で1割売り上げが下がれば、倒産してしまう企業が半分くらいあるのではないだろうか。観光関連は厳しいに違いない。この先深刻な経済状態に入ると思える。年寄りはお荷物で申し訳ないことだが、病気にならないように頑張るくらいしかできない不要不急である。

 一番大変なことは若い人がやりたいことを自由にやれない時代が近づいて来ている心配である。自由は独裁的政治に奪われるだけでなく、封建的社会に奪われるだけでなく、経済困窮によって一番奪われる。団塊の世代は身勝手にずいぶん幸運な時代に生きた。戦争はない。仕事はある。自由な空気もあった。制限の少ない時代を生きさせてもらえた。

 心から申し訳ないことだと思うが、その結果が、エネルギー問題、環境汚染、感染症爆発とこの先の困難な時代へ続く道であった。これは競争主義社会のわるい側面の結果である。能力のあるものは、何もやっても良いという時代へ突き進む道であったわけだ。それが一国主義、国家資本主義の台頭。経済戦争への突入。

 コロナで衰退してゆく経済の時代は、格差が拡大し、階級が出来る社会と考えて置くほかない。様々なところで1割の縮小で淘汰の現象が起きてくると覚悟せざる得ない。敗戦で経済が縮小するというようなことではなく、じり貧状態の中で弱肉強食の様な醜いことが起こる。そんな嫌なにおいがする。

 気力の萎えるような時代の空気になるのではないだろうか。感染症が広がる中、集中合が繰り返される。これは自らが呼び寄せた世界であり、この先さらにしんっく化すると考えざる得ない。その中でそれぞれが生き方を確立するという事は、相当に困難なことになるだろう。この責任を団塊の世代の一人として感じているが、その上で言えることがあるとすれば、自給的に生きる道はどんな状況でも希望の方角だということ。

 一人の人間が生きるための食糧はどんな時代だって変わることはない。100坪の土地と、2時間の労働があれば、手に入れることが出来る。道具だけで可能な小さな自給農業で人間は生きることはできる。日本の豊かな土地は人間が生きてゆくことを許している。小さな農業は災害にも強い。

 自給の能力を高める。これから来るかもしれない不況の時代の生き方かもしれない。食べるものは何とかなるという状況が確保できれば、ある程度の自由が確保できる。さいわい、耕作放棄地はこの先も増える方向にある。人口減少も悪いことではなく、日本人の本能的不安の結果なのかもしれない。

 ここ10年の石垣島は観光産業で経済が回り始めていた。農業や漁業の一次産業が観光産業とうまく連携が取れていた。観光客は順調に増加して、順風満帆の空気に満たされていた。そこに思いもよらぬ、コロナ来島自粛要請という、観光客排除という事態が生じたのだ。

 この緊張感は島民全体に広がり、私など観光客とみられるから、排除の目で見られ続けた。島民の多くが観光客をみればコロナ感染者だというような感触である。これでは観光は成り立たない。石垣の受け入れてくれる空気こそ一番の観光資源であったわけだ。排除の目の光っている島に観光客はどれだけ戻ってくれるだろうか。

 先日も鹿児島に滞在された方が、石垣島にもどり感染されていたことが分かった。又空気が一変しただろうかと思う。観戦して帰島するようなことが絶対に起きない様に気お付けなければならないと自戒している。

 行政は自粛を呼びかけはするが、医療体制の強化や夜の接待のある飲食店の対策など、それほど行われた訳ではない。行政が恐怖にとらわれて、行動した。こういう行政は科学的判断なく、観光客の受け入れを始める。それは島の空気を不安に変えたと思う。

 コロナは野外での感染はまずないと考えていい。潮干狩りや海水浴をダメだという前に、夜の飲食店での感染をどう防ぐかが問題なのだろう。島で唯一の感染は夜のバーで起きたとされている。あれほど中国からの観光客が来ていたにもかかわらず、感染は起きていないのだ。その理由を考えてみるべきだ。

 どうすべきかは以前書いたのでくどくは繰り返さないが、観光客を受け入れて、対応できる島にならなければ未来はないという事がまず確認できるかである。観光客排除の島が良いならそれもある。しかしそれでは島の経済は回らないだろう。そうなれば島の人口は減少してゆく。そんな状況の島が大半なのだ。

 野外飲食のテラス文化の島にする。夜の野外の飲食店を作るのはどうだろう。月と風の中で夕涼みをしながら、飲んで唄う島だ。その昔にはよる海岸で遊ぶ習慣があったようだ。観光客にはそういう石垣の文化を再現して、味わってもらう。これなら、コロナ対策にもなる。

 コロナ対策は感染者0は出来ない。それはどの病気だって同じことだ。医療体制が崩壊しない範囲で、感染症と共存してゆく以外にない。志望者は少ないままである。これならば、ある程度自粛を解除してもいい。石垣島が免疫力を高める島になればいい。ゆっくりと身体を休める癒しの島である。石垣島独自の観光を生み出せば、むしろ新しい観光客が来てくれる島になる。

 石垣島が生活するには素晴らしい場所であるのは間違いがない。そうであるならば、石垣島の医療や教育を、遠隔で出来るように行政が整備をする。こうした、ICを用いた教育は整備に大きな差が出てきている。石垣島の高校はまるで、都会の私学の様な教育体制がある。という事になれば、大きく変って来るだろう。

 それが、テレワーク時代になった時に石垣島に、若い有能な企業人が暮らしてくれるようになる基盤になるはずだ。石垣島の素晴らしい環境条件さえ整えることが出来れば、新しい輝きを持つはずである。

 

 - Peace Cafe