春の農作業11日間
石垣空港の見送りの人。ブログにはっきりと小田原行きを書けるのも、もどって三週間が経過したからだ。又小田原に行くのだが、こういう小田原との行き来を余り気持ちよく見られないだろうと思う。石垣島には余所から来た人を見ればコロナと疑えという空気がある。絵を描きに人のいないところに出るくらいなので、心配しないで貰いたい。
欠ノ上田んぼ7番一本植え。田植え後四週間の様子。予定では9葉期になっていないとならない。写真だけでは分からないが。開張型に株が分ゲツして開き始めてはいる。
コロナ騒ぎで小田原に行くのが大分遅れた。一応の自粛明けになり、5月28日から6月8日まで小田原に行くことがかろうじてできた。来年の参考にこの10日間を記録しておこうと思う。小田原の春の作業に最低限参加した記録である。
5月28日(木) 石垣空港を9時05分発で羽田空港に向かう。直行便がないために、那覇乗り換えになる。飛行機はかなり空いていて、3席に一人もいない状態。1時間で那覇着。那覇空港も人影はまばら、1時間乗り継ぎで待って、羽田まで2時間ちょっと、こちらも3席一人がけ。羽田も人は驚くほど少ない。
羽田から、京急線で横浜へ向かい。途中寝過ごして、杉田で起きる。スギタでつい笑った。戻って、小田原に着いたのは4時頃。バスも人は少ない。ここまで感染の不安のような状態はない。バスの窓から、欠ノ上田んぼの準備と、舟原田んぼの準備完了が見える。ほっとする。
小田原の家に戻り、すぐに田んぼに行って明日からの打ち合わせ。帰りに、スーパーに行き11日間の食料を冷凍食品を中心購入。スーパーそうてつローゼン。石垣ほど混んでいない。安心して購入できる。石垣ほどコロナに対する緊張感は感じられない。11000円ほど。一日1000円の食料を買ったことになる。 8,160歩
6月29日(金) 朝から欠ノ上田んぼで苗取り。苗は多すぎるくらいあり、取り尽くせないまま、漉き込む。田んぼ2枚の線引きも終わる。15人の苗取りで過去最高の参加者数。それでも夕方まで苗取りをしても終わらない。4時半から、渡部さんが苗床代掻き。苗が漉き込まれたのは悲しかったが、何しろ苗が多すぎた。どうも3本植えもしたいという要望があり、増えたようだ。しかし、苗取りが一日でできない分量では困る。2本植えまでである。
15番田んぼの荒起こしをお願いする。いる人全員で畦立て。そして一気に入水を始める。6時半になっていた。15番は崖崩れで、やれないと考えていたが、崩壊部分の外側に畦を作り、急遽田んぼにすることにした。 11,665歩
6月30日(土) 朝9時から田植えを始める。その前に15番の水がたまらないので、トンボで代掻きをしておく。1時間ほど。上で田植えのために水を調整するので、一番下の15番にはなかなか水が来ない。田植えは25名くらい集まる。昨日線を引き終わっていた。8番と12番を最初に植える。その間に9番。12番と線引きが進む。
線引きは3名で一日がかりで全部終わる。線引き作業はとてもきついので、精鋭が担当。この日の田植えは8,9,10,11,12,13,14,と下の田んぼが終わる。おおよそ、5分の3が終わったことになる。そして、15番の急遽作った田んぼのトンボを行う。なんとか、水が広がり始める。 11,160歩
5月31日(日) 朝9時から田植え。やはり25名の参加。この日も15番のトンボがけを田植え前の朝1時間ほど行う。ほぼ全体に水が回る。荒起こしだけでも手植えでは田植えができる。このやり方をみんなに知ってもらいたいと言うこともある。上手くゆけばこの方が田んぼの土の状態がいいと言うことがある。
午前中に15判を除いた、すべての田植えが終わる。田植えが終わった人から、担当の田んぼの補植に入る。午前中に各自担当の田んぼの補植が終わる。水が入ると浮く苗ができる。早めに補植をする。午後、水が回ったところで、そばかす播き。すべて順調に終わる。
15番も昼前にトンボがけも終わり、畦塗りも終わる。何しろ人数がいるから何でも早い。昼食中水を抜いて、午後の線引きに備える。1時から、線引きをして貰い、すぐに田植え。案外に植えやすい。すべてが終わったのが、3時。実に順調。この後あちこちの直しなど行う。 15,187歩
6月1日(月) 冨田田んぼの田植え手伝い。良く準備ができていた。冨田さんの丁寧な性格が出ている。田んぼはやはり作る人で違う。午前中で田植え終わる。 4,745歩
6月2日(火) 家の片付けと荷物の発送。ため池の新しい畑の玉ネギの収穫。タマネギの整理と干し。 タマネギは赤タマネギは良く出来ていたが、他は今ひとつだった。これは小田原ではどこでもそうだったらしい。何が違うのだろうか。赤タマネギは湘南レッド。7,227歩
6月3日(水) 午前、舟原ため池周辺の草刈りを行いました。(参加12名、刈払機10台、ハンマーナイフ1台、チェーンソー1台)次回は3週後に行う予定。(作業:田仲康介、近藤増男、近藤忠、笹村、近藤孫範、廣川登、渡部、富田、斎藤薫、杉山、東、石井)田中さんには久しぶりにお会いできた。嬉しかった。
大麦収穫。コンテナに入れて家で干す。東さんの田んぼ荒起こし。舟原奥の通路の田んぼの荒起こし。一番奥の田んぼへの配管部分の穴を掘る。 15,276歩
6月4日(木) 午前、大麦収穫。東さんの田んぼ荒起こし。舟原奥の通路の田んぼの荒起こし。午後、ため池西側、田んぼ経由水配管作業。材料は農政課支給、当日13時に届く。塩ビ管1本余り、ため池脇の太い管が保管してあるところに一緒に置く。 13.344歩
6月5日(金) 小麦刈り取り機械準備。大麦をハーベスターで脱粒してみる。大麦は16キロしかない。夕方から小麦畑で機械の試し。バインダー順調。 11,307歩
6月6日(土) 小麦の収穫。収穫して機械小屋で干す。午後、東さんの田んぼの代掻き水調整。 11,793歩
6月7日(日) 午前、東さんの田んぼの田植え。 午後、5,6,7,15番のコロガシ。 17,830歩
6月8日(月) 朝、びわの収穫。11時に石垣に向かって出発。小田原駅まで渡部さんが送ってくれる。 飛行機は一つおきに座る程度の一杯。 まだ直行便はないので、那覇乗り換え。石垣空港はがらんとしていた。石垣島は羽田より緊張している。街を歩く人のほとんどが、マスクをしている。 10,514歩
まだ、体力的には充分にこなせた。それほどの疲労もなく、快調に動けた。動ける間は小田原に行き、農作業がしたい。農作業すると、気持ちが一新する。やはり、農作業は原点である。これが出来なくなると、絵も心配になる。今度小田原に行ったらば、田んぼの草取りを精一杯させて貰う。
田んぼのことをあれこれ言うなら、田んぼの草取りをしてからだ。そのように昔から主張してきた。農業のことにはやった人にしか分からないことがある。だから、田んぼに入り、一番辛い田の草取りをやってみて貰いたい。これは自分に言い聞かせていることだ。
田んぼはどうなっているだろうか。楽しみだ。
|