移住暮らし体験談

   



 随分あちこちで暮らしてきた。人生の最終盤に石垣島で暮らしている。日本だけでも随分と地域差がある。暮らしやすい場所もあった。暮らしにくい場所もあった。その時々、その場所によって暮らし方も変わった。これから移住を考える人にはいくらか参考になるかもしれない。

 東京一極集中がさらに進んでいる。都会の暮らしはウイルスの蔓延には大変なようだ。都会から離れる人が増えるのかもしれない。暮らして行けるのであれば、地方の暮らしは良い物である。移住体験の感想を書いてみる。

 生まれたのは、山梨県境川村藤垈。育ったのは東京三軒茶屋が中心。中学高校と通学した頃は、世田谷の松陰神社から1キロほどの所。そして、大学時代が金沢。その後フランス。そして、戻ってから三軒茶屋で画家を目指す。

 36歳の時に神奈川県山北の山中で開墾生活。最初は通いながら始めて、数年して完全に移住。その後53歳頃小田原に引っ越し。あしがら農の会中心の暮らしになる。69歳になって石垣島と小田原の2拠点生活。

 ざっと今までの暮らした場所を並べるととこんな具合である。と言ってもちょっと実際の所は想像しにくい感じもする。それぞれの暮らした場所は重複している。藤垈で生まれたが、三軒茶屋と行き来する暮らしだった。境川小学校に通ったこともあるが、三軒茶屋小学校に主に通った。

 子供時代は時間的には三軒茶屋にいた期間が長いが、自分の中にある濃密な時間は藤垈の向昌院の暮らしである。この歳になってみると、藤垈という山合いの
場所と向昌院と言う曹洞宗の寺で、私と言う人間が作られたという気がしている。人間は子供の時代は自然の中で育つことが重要だと感じる。子供は自然の中で暮らすほどいいという実感がある。

 山北から小田原に移動したのも、かなりの間重複生活であった。今は石垣島で絵を描いていて、離れた小田原に農作業に出かける。ある意味、いつの年代も2拠点生活のような状態であった。一カ所で暮らすよりも2カ所で生活することの方が、遙かに優れている。それぞれの地域の良さを受け入れることが出来る。その上に地域と距離を持てると言うことが重要だと思っている。

 どれほど良い場所でも、そこに止まっているよりも、時には離れた方がいい。離れることでその場所の良さもわかる。二地域居住をしてきたことは良かった。ただ地域から動きたくない人によっては、腹立たしいことかもしれないから、その点では配慮が必要かもしれない。

 移住しながらの一生である。この後は、死ぬまで石垣島暮らしだなと感じている。世間ではコロナ移住が始まりそうな風が吹いている。こんな時だからこそ、あちこちで暮らした体験は参考になるかと思う。移住の現実を少しお伝えできればと思って書きだした。

 山奥の小さなお寺で生まれた。おじいさんは役場に勤めて、お坊さんもやっていた。自給自足の暮らしである。お寺を維持して行くには、収入よりも支出の方が多かったのだろう。食べるものにまで困ったことはなかったが、それはつつましい暮らしであった。節約な暮らしを体験したことは、今になれば一番ありがたいことだと思える。自給自足はつつましい暮らしではあるが、食べるものは充分にあり、子供にも役割があり充実していた。

 私の役割は風呂焚きと鶏の世話。風呂焚きと言っても、水汲みから薪の準備までである。鶏は好きだったので勝手にやらして貰っていた。後嫌な役割は草むしり。

 中学三年までは藤垈暮らしが好きで、学校の休みの間は東京にいたことは一日もない。学校を休んで、藤垈にいたことも何度もある。余り長く休むので、境川小学校に通ったのだ。藤垈には好きで行きたかったと言うことが半分で、家の事情で東京にいるよりも、藤垈の暮らしをさせられたと言うこともある。学校に上がる前は夜になると、寝床で泣いた記憶もあるのだから、家が恋しいと言う一面もあったのだろう。つらかったというわけではない。

 自然の中で野良犬のように何かしらうろちょろやっているのが好きだったのだ。ほとんど一人である。川をせき止めてダムを造るとか、池に浮かべる筏を作るとか。穴を掘って横穴式住居を作るとか。金比羅さんに黄鉄鉱を掘りに行く。粘土を取りに坊が峰に行く。箒草を集めて売る。竹の皮を集めて売る。鶏を飼って卵を売る。昔は何でも買いに来る人がいた。

 よくもまあ、毎日遊びほうけていたものである。しかも一人で良くもあんなに危険なことをしていて、大けがもせずに居たものだと思う。しかし、この面白そうだと思ってやっていたことが、自分という人間を形成したことは間違いが無い。子供は山の中で育つ方が間違いなくいい。学校以外で勉強などする必要は全くない。生きて行く力は子供時代の藤垈暮らしで身についた。

 中学、高校時代は、世田谷1丁目の世田谷通りから少し入った住宅地に住んだ。世田谷の住宅地の暮らしは近所づきあいは全くなかった。お隣はお医者さんの家でどこかの大学病院に行っていると言う話だったが、全く付き合いがなかった。今思えばそこで暮らしたという記憶すら無い。

 唯一親しくなった家は入口の世田谷通り沿いにあった、下駄やさん家族だった。北朝鮮の人で、地上天国北朝鮮に帰国した。それで朝鮮のひとの印象が良い。北朝鮮に帰ったその後も気にはなったが、もちろん全く分からない。帰るときの言葉を覚えている。「帰るのですが、又来ますから。」と言ったのだ。もう2度と会えないだろうと私には思えた。松陰神社の家を思うと、どうしてもあの家族のことを思い出す。

 世田谷の住宅地の暮らしは、地域から何も得るものがなかった暮らしである。ああいう暮らしはダメだ。生涯で一番つまらない地域だった。地域はつまらなかったが世田谷学園は人間が形成される第2段階だった。中学高校は、良い仲間、良い先生との出会いがあった。曹洞宗の僧侶の先生がいるという点がやはり、重要なことだった。教育というものには無色透明よりも思想があった方がいいのではないかと思う。その点、曹洞宗は自己本位であるところが自分には合っていた。

 そして金沢での大学生活。金沢という地域性は面白いものがあった。金沢という独特の学生を大切にしてくれる文化の中で暮らせたことは、ありがたいことだった。大学に行くなら地方の大学がいいと考えて、金沢を選んだのだがそれは正しい判断だった。大学に行くならば、親元は離れてどこにでも行くべきだと思う。大学は自分の費用で行った。親が大学に行くならそうしろと言ったのだ。

 大学の友人との切磋琢磨であった。自分よりも明らかに優秀な人間に何人も出会うことができた。それは今も宝なっている。生の人間とぶつかり合いながらの暮らしは実に楽しかった。やりたいことをやりたいだけやれた。あれがなければ絵を描く一生ではなかったかもしれない。

 金沢では様々な暮らしをしたのだが、馬小屋で暮らしたことは面白かった。今で言うシェアハウスのような暮らしをしていたこともある。そういう暮らしが学生にはゆるされるところが当時の金沢の良さだった。学問は好きで真剣に学んだつもりだが、寺子屋のことを研究したいと思っていた。向昌院でも寺子屋をしていた時代があるという話だった。学者になる能力はなかった。

 そしてフランスに行った。最初ナンシーに行った。金沢とナンシーで交換留学生制度があった。私はその制度の生徒ではなかったのだが、結局の所ナンシーの日仏協会のお世話になった。何にも分からないままにナンシーに行ったのは、ラトゥールの大工ヨセフの絵がルネッサンス絵画展という物で展示されたことがきっかけだった。高校生の時に見て衝撃を受けた。これはナンシーの方は信じてくれなかったが、本当のことだ。

 一度は海外で暮らすのはいいと思う。フランスで日本人と日本の文化という物を考えることになった。自分の絵という物を突き詰めて考えたと思う。1年後パリに移動して沢山の絵を見て歩いた。ルーブルには毎日行くほど通い詰めた。マチスとボナールの絵がフランスの文化に根付いていると言うことが分かった。海外の暮らしも一度はした方がいい。

 東京に戻って絵描きを目指した。東京に戻るつもりはなかったのだが、父の入院で、家に戻る以外に選択はなかった。東京の暮らしは消耗する物だった。絵描きを目指すためには仕方がないと暮らしていたが、余り良い思い出はない。そして、山北で開墾生活を始める。

 山北の開墾生活からやっと自分の生き方が始まったような気がする。人間には自分の力で生きると言うことは、何より大事なことだ。直接絵を描いて行くことより、どんな生活をどうするかと言うことが大事だ。絵を売って生活する絵描きという形には成れなかったのだが、成れなかったおかげで、今では自分の絵を目指すことが出来たと思っている。

 芸術としての絵画には、絵を描く以前にどんな作者かという人間がある。自分という人間が表現すべき物がないのに、絵が描けるわけがない。絵を通して、絵の背景にある人間を見ている。人間のない絵画はあり得ない。そのいみで、自給自足を目指した開墾生活を30年続けたことは、生きたという気がしている。そこで表すべき何かを見つけたようだ。

 その意味では山北、小田原の暮らしは充実していた。山北では一人の自給。そして小田原ではみんなで自給。適度な東京都の距離が良かった。いわゆる田舎暮らしではあるが、東京まで通勤可能な地域。こう言う場所の良さがある。養鶏業はこう言う場所が適地である。

 小田原には今も家もあり、行くのだが石垣島の今の家より田舎である。小田原で農作業出来ることがありがたい。仲間がいるからだ。石垣島では特に暮らしは無い。絵を描くだけである。絵を描くだけにしないといけない年齢になったと思っている。

 石垣の暮らしは想像以上にすばらしい物だ。具体的にはカテゴリーで石垣島を選んでみていただきたい。何か聞きたいことがあれば、必ずお答えしますので、連絡くをしてください。コメント欄にメールアドレスをいただければ、公開はしないですぐに返信します。

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