2020欠ノ上田んぼの田植え

   

 


 欠ノ上田んぼの田植えが終わった。実に充実した3日間だった。こんな日々を生きることが出来るという、何というありがたさか。生きてきたかいがあったというものだ。欠ノ上の田んぼは耕作放棄地になっていた場所である。国の元気回復事業という事で、10数年前復田がされた場所である。

 里地里山協議会の一員として、欠ノ上の地主さんへお願いして事業を進めて頂いたものだ。毎日通る道路から見下ろせる美しい谷間が耕作放棄地になっていた。何とか昔のような田んぼに戻せないかと気になっていた場所だった。10年間かかったが、今年はついにすべてが田んぼに戻っている。感慨無量である。

 国の事業として、復田された後に誰か耕作をする人がいなくてはならない。という条件があり、あしがら農の会がその役割を引き受けたものだ。これが笹村個人の利益誘導ではないかと、里地里山協議会からは査問された。当時はまだそうした活動の意味が、会員の中でも理解されていなかったという事だろう。

 今はこの活動を含めて農林水産大臣賞を受賞している。やっと農の会の活動が認知され的他と言うことになる。国はその耕作放棄地の、1反5畝ほどを復田した。あしがら農の会が残り3反5畝を引き受けて復田したことになる。今は全体で5反近くある。農の会の耕作する田んぼはヘクタールぐらいだろうか。

 今年はコロナウイルスで、田植えにすら参加できないかと思っていたが、何とか田植え前に自粛が解除された。やっと参加できることになってほっとした。石垣島で暮らし始めてみると、小田原の農作業が実に懐かしい。遠くにいるにもかかわらず、仲間としてやれるという事がいかに幸せなことかとしみじみと感じた。



 一日目が終わり、まだ植えられていない上半分の田んぼ。水を抜いて、線を引き少し水を戻している。この時土の状態がいいと、田植えは早くなる。

 石垣島にいて、毎日田んぼを眺めて描いてはいるが、その田んぼに入ることはできない。田んぼの土に手で触っては見るが、さすがに入ってみることはできない。草が生えていても取ることもできない。それはなんとも残念なことだ。石垣島ではやらないと決めたことだ。

 29日に苗取り、30日と31日に田植えだった。準備に参加できなかったことは申し訳のないことであった。初めてのことであるが、皆さんが徹底して準備をしてくれていた。また、欠ノ上グループ全体の力量が上がっている。私がいなくなったことが良い形で反映していることが確認できた。

 分かったつもりの前からの人間が、心配になりあれこれ口を出してしまう事はやはり良くない事なのだ。みんな力のある人たちだ。その一人一人の力が上手く合わさるように進みさえすれば、すごい総合力になる。全員がそれぞれの部署で黙っていながら、補い合えるという姿が実現できていた。農の会の組織は、これからの組織作りの実験になっている。

 形のない組織。仕組みのない組織。曖昧な組織。決まりのない組織。やりたい人がやりたいことだけをする組織。黙って補い合う組織。この新しい組織をやりきるためには、人間力が高くないと。


 
 ここはがけ崩れがあり、川際が崩壊した。右側の綱を張ってある当たりの下は空洞である。今年は植え付けない予定であったが、もったいないので狭めて、畔を作り急遽田んぼを作ることにした。新しく田んぼを作る体験にもなるとも考えた。

 今年は新しい仲間が3家族も増えていた。その人たちがすごい働きであった。良い関係が始まっていることが良く分かった。みんなでやるという事は難しいが、上手く行けばすごい力の出るものになる。この時代に農業をやってみようという人は皆さん自立されている方だ。自分流でやりたくて当たり前である。共同でやるという事に苦手な人もいる。

 人間の合わさる力というものは凄いものである。私自身にしても3日間気持ちよく働くことが出来た。大した疲れもせず、やり通せたという事がすごい。一人ではこれだけの力を出すことはできない。みんなでやろうという気持ちが合わさるから力が湧いてくる。

 自給農業の最終形は仲間との共同農場になる。一人ならやりたいようにやれていいように思うが、そうでもないのが農業である。一人でやれるようになったら、次はみんなでやれるようになる。この気持ちを忘れたらだめだ。どうあがいても一人の農業では生きていける社会ではないのだ。

 農業だけではないのかもしれない。人間はいつも一人では生きていけないものと言う事なのだろう。一人で生きる力をつけて、みんなでその力を合わせるそれが田んぼの協働なのだと思う。その一人として、今年も田んぼの仲間に加えてもらえたことが幸せだと改めて感じる。私のように石垣島からでも気持ちよく参加させてもらえることが出来る形は凄いことだと思う。

 苗作りで多く種をまき過ぎていた。来年は必要な本数を正確に計算して種籾を残さなければならないだろう。その分かれ目は1本植にするか、2本植にするかがある。中には3本植にしたいという人もいる。このあたりで種籾を多くは播種したくなるようだ。

 1本植なら、1反1キロで足りる。2本植ならば2キロになる。予備分も考えると2キロかける反数で3反がサトジマンなら、6キロの播種。選別で落ちる予備が1,2キロか。1反がマンゲツモチだとすると3キロ残せばいい。これ以上の苗の量だと、一日で苗取りが終わらない。今年は15人だった。又密になり良い苗にならない。そうか過密は何にしても良くない。

 田植えは25名と26名であった。この人数でゆっくりと確実に田植えが出来た。無理のない余裕のある田植えであった。今年は田植え希望者を受け入れなかったので、その分早く進んだのだと思う。手伝いに来てもらうことは活動にとって必要なことなのだが、そのお世話や説明で、むしろ作業は遅れる。

 活動を広げるという意味で必要ではあるのだが。自分たちの自給という事なら、気の合ったものだけでやる方が良いようにも見える。しかし、そうでもないというところにこれからの組織論がある。



 

 

 - 稲作