第3回 水彩画 日曜展示

   

 第3回 水彩画 日曜展示




 7、「崎枝の小嶺牧場3」
 2020.5
 中判全紙 クラシコファブリアーノ


 

 8、「崎枝小嶺牧場2」
 2020.4
 中判全紙 クラシコファブリアーノ



 9、「崎枝小嶺牧場1」
 2020.4
 中判全紙 クラシコファブリアーノ



  中央に少し見える所は田んぼである。田んぼをいろいろに書いて見ている。田んぼは何故か時に人が来ている。水を入れるようでもあり、耕しているようでもある。水は張られているが、何かが植え付けられているようでもない。

 ただ、ここに水が入る前には描く気持ちは湧いてこなかった。描きたい場所は沢山あるので、そちらに気を取られていた。ところが、ここに水が入った途端、この景色が急に動き出した。その変わりようにむしろ惹きつけられたようだ。

 画竜点睛を欠くというが、まさにこの風景は要がなかったのだ。水が強い反射をしたもので、全体が生き生きとしたものに見え始めた。同じ場所とは思えないほどだ。前には水がなかったのに、何故水をためたのかも不思議なことだ。

 絵を描く場所が出来て、毎日通うようになったときに、トラックターが入り耕したのだ。何故か私が田んぼを描きたいという気持ちが通じたようである。田植えをするのだろうと思ったのだが、結局は田植えをしなかった。さらにその下の田んぼの代掻きもしてくれたのだが、ここは水も入れなかった。

 特に管理をしているようでもない。ところが今年の石垣島の5月過去最大の雨量である。1時間に127ミリも降った日もあった。描いている奥でも土砂崩れがあり、通行止めになったりもした。そんな強い雨があるもので、アラオコシだけの田んぼも水が張られたようになる。

 田んぼが広がったり、無くなったりを繰り返している。それで、絵でも同じ場所なのに、様子がずいぶん違う。正確に描いているわけでもない。こんなに変化があったわけでもない。見ている目にこんな反応の違いがあったという事だ。

 やはり、見るという事はずいぶん主観的なことだ。できる限り、見えたようにやろうとすると、こんな風に違ってしまう。田んぼだけではない。防風林の向こう側の海も空も随分違う。見ている私も同じでないという事なのだろう。

 日々新たなり、と言うが人間新しい一日を生きているという事を実感する。かつてない一日を体験している。だから面白くて、やる気が出てくる。毎日同じようでも、新しい世界なのだ。このかつてない一日は絵を描くという事になる。

 絵の方は大したものではないのかもしれない。それでもいいと思う。そのたいしたものでない絵が自分に近づいているようだなという気はしている。作り上げて、良さげな絵を描こうとしたことは、ずいぶんかかったがほぼ無くなった。無意識で出てくることも随分と減った。

 描いている水彩画を日曜日にはこのブログで公表している。集まって展覧会を開き見て貰うことが出来ない世界になりそうだからである。ブログでの作品展示はまだ、実際に見て貰うための環境は十分ではない状況であリ残念である。

 どこかウエッブ画廊が出現して、質の高い展示をしてもらえないものだろうか。今後研究して良い作品展示法を考えたいと思う。例えば、ダウンロードすれば、それなりの品質の作品の印刷物が出てくるようなことになれば、新しい絵の表現法にもなる。

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