テスラの蓄電池が普及価格に近づいた。
石垣の田んぼの土は代掻きをした後、三週間ぐらいは濁ったままである。珊瑚礁で浸透性が良いように見えて、そうでもない。
アメリカの企業のテスラの蓄電池は、日本での価格は蓄電容量13.5キロワット時で99万円としており、1キロワット時あたり7万円台前半となる。容量の小さい国内メーカーの製品は同20万円弱から30万円強が多い。ーーー日経新聞
実際素暮らしの中でどうなるのかは分からないが、日本の価格の3分の1である。競争にならない価格差である。間違いなく電力の自給に一歩近づいていると言うことだ。太陽光発電を行い、電気自動車に乗る。電気の軽トラもある。エネルギー自給が中山間地の山の中でも可能になると言うことだ。
蓄電池の開発は再生エネルギーの利用には重要な課題だった。この技術が化石燃料電気と遜色の無い所まで来たと言うことである。蓄電池が実用化のめどがついてきたと言うことは、ここ数年で再生可能エネルギーは全く違う局面を迎えると言うことになる。
太陽光発電や風力発電は蓄電池の価格を下げることが重要だった。こうした電力は山の中で孤立していても可能だ。送電線がいらない。停電に対しても対応ができる。自立した、自給の暮らしには朗報である。
テスラは電気自動車への供給が有るので、一貫した大量生産のシステムが整いつつある。直売方式で価格が下げられたのかもしれない。アメリカの大企業では、化石エネルギーや原子力エネルギーを使わない会社が出てきいるそうだ。
環境に対する姿勢を示すことが、企業の姿勢を示すことになり、企業への支持を広げることにつながっている。つまり、そうした消費者の意識が企業を変えているのだ。日本の企業が進取の気性を忘れ、企業理念を失ったかのように見えるのは、環境を大切にする企業を支持する国民の意識が弱いからなのだろう。
日本の企業は地球環境の未来に対する責任を感じていないと見えるところが大多数だ。目先の競争しがみつき、既得権益の死守に翻弄されているように見える。原発事故の後、日本企業は自然エネルギー開発に死に物狂いになってくれるだろうと期待をしたが、裏切られた。
脱原発の意欲をアベ政権は根底からそいでしまった。原発輸出などと馬鹿げた方針を打ち立て、原発村社会を維持しようとしたのだ。原発事故を起こした日本の原発を導入するような国はあり得ないだろう。誰もが考えた、予想通りの無駄な政策に終わった。もちろん反省の弁解も聞いたことがない。
しかし、こうした政府の姿勢のためか、再生エネルギーの開発競争では日本は世界の趨勢から完全に遅れてしまった。新しいものに挑戦しようとするものを、既得権を握っているものが邪魔をするのだろう。アベ政権は既得権集団の代表だから、あたらしいエネルギー産業が育つことができないようにしたとしか思えない。
アベ政権が脱原発を宣言していたら、否応なく日本は再生エネルギー開発に必死になったはずだ。確かに、日本の経済は停滞したかもしれない。しかし、原発事故からの復活という意味では、日本人が我慢できた機会を逃したのだ。
文明の方向の転換があのときならできたのかもしれない。多くの日本人が苦しい中で願ったはずだ。重要な転換の機会を逃したのだ。原発が安い電力だ等と今でもひとつ覚えで呪文のように唱えている政府では、新しい国の方向など生まれるわけもない。これがアベ政権の罪深さだ。
新型コロナウイルスで世界の不安は広がっている。これは終わりの始まりである。さらに深刻な感染症は必ず登場する。今回のウイルスの展開はそのときのための予行演習のようなものだ。人間は原発事故を忘れたように、何でも忘れる。今回のことを忘れないように見ているひつようがある。
日本人が忘れていても文明の転換は迫っている。この転換に日本は遅れようとしている。今中国は苦しいだろう。大変だろう。頑張って貰いたいものだ。ここでの頑張り方がむしろ次の正しい方向への展開につながる可能性もある。中国も覇権主義などやっている場合ではない。
日本は原発事故を良い方向への転換に生かせなかった。それは日本人というものの限界だったのだろう。中国がこのウイルス蔓延を機会に方向を変えれば、世界の方向だって変わる可能性がある。経済競争だけでは必ずもっと怖いウイルスが登場して、こういうことが繰り返される。
テスラの蓄電池は文明を変えるスタートの技術なのかもしれない。テスラ製の蓄電池が大きな注目を集めるのは、電力会社から電気を買うより蓄電池を活用して自家発電した方が安くなる節目である「ストレージパリティ」損益分岐点の一歩手前の価格水準だからだ。
ドイツ貿易・投資振興機関によると、再生可能エネルギーが同国では18年に損益分岐点に到達した。現在は太陽光などの分散した発電所をまとめて運用する仮想発電所(VPP)事業が急拡大している。ドイツは脱原発を宣言して、新しい方向が生まれている。日本は学ぶほかない。
残念ながら、日本は国の方角を間違えてしまった。いまさら間違えを改めることはできないのだろうか。世界が変わって行けば人間の生き方も変わる。日本という国に又黒船が来てくれるだろう。それまでは自分の暮らしを造ることだ。国の方向で自分の生き方を間違えないことだと思う。
日本の自然環境は豊かだ。エネルギー自給の時代になれば日本ほど優れた場所はないと思われる。ウイルスが出現するとしても、豊かな自然環境が抑えてくれる。都市環境がウイルスの蔓延の一因である。豊かな森の中で暮らしていれば、ウイルスは収束する。
江戸時代の暮らしを材料にして、現代の科学的進歩を取り入れ未来に生かすことだ。すべてを循環して暮らすことができる日本列島で、日本人は300年前に3000万人の社会を構成していた。その倍くらいの人口が日本列島で完全自給で暮らせると思っている。又そのくらいの密度が健全な人間の暮らしである。
その暮らしにはステラの蓄電池と中国製の太陽光パネルが使われているのかもしれない。残念だけど、すばらしい暮らしがそこにはある。