シーサー様がお出ましになった。

   



 シーサーを作った。いつかは作ろうと考えていた。引っ越して1年5ヶ月経って、やっと出来上がった。最初は石で作くろうと良い石を探していたのだが、中々見つからなかった。良い石に出会えないと言うことは、シーサー様がまだだと言っていたに違いない。

 焼き物で作ることにしようと考えたのだが、小田原で焼かなければならないのかなど考えていた。小田原には焼成窯があるからできることはできるが、準備や、輸送のことなど気の重いところがあった。決められないまま、時間が経過していた。

 たまたま、インターネットで25センチのシーサーを焼かせてくれるという石垣の工房が見つかった。これもシーサー様のお導きかと思い決断した。川平焼 凜火と言う陶芸工房である。早速申し込んで作った。2日で作った。
 場所は20年ほど前に海の見える別荘地として開かれたらしい場所らしい。かなり山を登ったところである。海の見えるすごい場所だ。神奈川県から越してきた方が工房を開かれている。まだ40歳前後の若い人である。

 もう少し時間をかけて乾かしながら作りたかったのだが、お邪魔して作らせて貰っていたので、2日出仕上げまで行った。粘土をもらって帰り、家で作るべきだった。そうすればもう少し思い通りのものができたはずだ。これはいいわけであるが。



 粘土が乾かないために、予定の形にはできなかった。口を開いている状態にしたかったのだが、頭の重さで口を閉じてしまうのだ。そこで口の中に牙を作り、頭の重みを支えた。足ももう少し太いものにしたかったのだが、太くすると割れそうでできなかった。
 石垣島で見て歩いた、シーサーがまぜこぜになってできている。特に南島博物館出見たシーサーが乗り移ったような感じがある。

 土は石垣の陶土だそうだ。色はなかなか面白く焼けた。少し温度が低かったのかもしれない。本来この土で焼くと、もう少し赤くなるらしい。この土で焼いたと思われるシーサーも置いてあるのだが、もっと鉄赤にテカテカしていた。このシーサーの色は土の感じが残っていて、悪くない。悪くないどころかすばらしい。粘土のままのような感じがすばらしい。

 この土の調子が残るなら、何か他のものも作ってみたくなった。粘土を川平焼 凜火で買ってきて、家で制作して、持ち込んで焼いてもらえるか聞いてみたら、かまいませんよ。と気持ちよく受け入れてくれた。ありがたいことだ。作りたいものが湧いてきたらまたやってみたい。
 この土はまるで粘土のままのようにも見える。そのところが面白い。今度は意図して粘土の調子を生かしたものを作ってみたい。例えば田んぼなどどうだろうか。昔川を作ったことがある。これは中々いいと思っている。田んぼを造形するというのも面白い。
 海も面白いかもしれない。あのすごい海を粘土で作ってみる。悪くないかもしれない。何になるかは分からないが、そのうちやってみることにする。



 予定通り高さは25センチである。作ったときには28センチであった。かなり小さくなった。石垣の土はかなり収縮度合いが大きいそうだ。重さはできあがりで7.7キロある。

 自分で作ったような気がしない。どこの誰が作ったものかと言う気分である。確かに私のサインが入っているから、私が作ったのである。不気味な生命感が宿っている。このシーサー様なら魔を、マジムンを追い払ってもらえることだろう。

 陶芸というのはそういう所が面白い。自分と距離がかなりある。私は作ったことは確かなのだが、何かシーサー様に作らされたような気持ちがする。そこが悪くない。私の意図通りできたら面白いものなどできないだろう。



 石垣島にはシーサーは推定1000体存在する。2体で一対になっているので、500カ所にシーサーがあるだろうと考えている。人口5万人だから、50人にシーサーがひとつである。そのうち半分は見ただろう。8割り方は見せて貰うつもりだ。

 散歩をしていて今でも新しい面白いシーサーを見つけてびっくりすることがある。だんだんここのシーサーとあそこのシーサーは同じ制作者だと分かるようになってきた。石垣島散歩の醍醐味である。

 型ものが多い。中には釉薬まで使っている。こういうものではいいものは見たことがない。本島のシーサーは伝統シーサーとして図録などもあるが、案外に石垣のシーサーの方が面白いと思う。ともかく自由だからだ。私のこんな奇妙きてれつなものでも、一応はシーサーの仲間入りである。
 屋根に乗せるには一苦労するに違いない。下から良い角度で見える、しっかりとした土台を作り、その上にセメントで固定して乗せるつもりだ。まるで土のままに見えるような色でありながら、1280度まであげているそうだ。不思議な石垣島の土である。

 - 石垣島