21回水彩人展の作品について

   

 

 20日、21日、22日と水彩人展の準備があった。東京都美術館美術館の地下での仕事である。20日の早朝に絵やコピー機を積んだ車で東京都美術館に出かけた。小田原から、都美術館まで2時間半ほどかかった。朝ラッシュに遭遇した。遅れたら困るので、5時半には出たので、8時には着いた。9時15分に美術館には入れるので、それまで予定通り、朝食を食べコーヒーを飲んでゆっくりしていた。

 搬入受付から、データー打ち込みが私の担当なので、これに専念した。と言っても私は回りで、サポートしただけだった。急いでパソコンやコピー機の設置、3台のパソコンの連結。ハブを忘れて来たたことがわかり、トラブルになるが、初日は1台で印刷をすることでしのぐ。データーの連結はUSBメモリーを使う。

 ここで、アートラインという業者搬入分を先に入力のつもりが、約束しておいた、一般の搬入票が見つからない。何という事か、結局しばらく人の配置が無駄になる。この時はアートラインは一般搬入がないという話になっていた。後で分かったのだが、別の所で資料作りに利用していた。全体の流れを理解していないので困る。

 12時までに搬入が終わるが、一般搬入の人は95名であった。毎年こうして、新しい人が搬入してくれるので、新鮮な作品を見ることが出来る。どこの公募展も参加者が減少しているらしい。一番の原因は地方からの出品が輸送の関係で困難になっていることにある。東京近県以外の参加者が極端に少ない。

 大きな団体で、地方で作品をまとめて、一括輸送できるところはまだよいのだが、個人で地方から作品を搬入することはかなり困難になっている。石垣島に越してみて良く分かった。何とか地方から、作品を巻いて筒に入れて送ることで出品できないかと思っている。受け付けて、こちらで額装を準備して、搬入する方式である。何か方法を考えなければ、地方からの出品はさらに減少してゆくだろう。
 今考えているのは小田原には手持ちの額が20号、10号前後ならば、10づつは持っている。加えて使わない額をみんなから集める。そして、地方から、絵を巻いて筒に入れて送ってもらう。これを業者にお願いして額装して、搬入する。少し早めの搬入締め切りにする。来年から是非試みてみる。

 もう一つは地方からでは出品はしたが、東京まで来れないという人もいる。そういう人のために、ビデオ撮影をして、ホームページに載せられないかという事である。撮影だけは今年はしてみようと考えている。地方出品者の中の希望者にはDVDにして販売するとか。


 
 12時から審査が始まり、ずいぶん時間がかかった。結局まるまる2日間審査にかかったことになる。せっかく出品してくれたのだから、出来る限り丁寧に見させてもらう。どうしても展示から外れる作品もあるのだが、そうした作品には理由を、作品評のような形で添えて返却することにしている。
 
 今年も初めて水彩人に応募してくれる人がずいぶんいた。作品として出来上がっている人もずいぶんいた。作品が悪いから、展示できないという事よりも、水彩人の求めている水彩画の方向とは違うという点で判断が分かれる。今年も、他の公募展ならば、評価されるだろうと思われるものが、何人も展示されない事になっている。

 審査3日目の午前中は同人の作品の互いの作品の批評会であった。発言しない様にと思って参加した。他の人の意見が聞きたいと思った。誰がどのように人の作品を見ているのか聞いていると、その人の作品以上に、絵というものをどう考えているのかがわかる。たとえば、必ず額が気になる人がいる。そいう人は展示をする意味を重視している人なのだろう。

 批評を聞いていると、大半の人が絵作りを問題にしているという事が良く分かった。作品としてうまく出来上がっているかどうかを見ているようだ。これは普通の公募展で言えば当然のことだとは思うが、私はそのことは絵の批評ではないと思っている。
 出品するのであるから、作品は描いた人からも、見る人からも等距離のものである。同人の場合の互評は作者が何を描こうとしているかが問題である。絵作りの上でおかしくとも、それはそういう表現として受け取らないとならない。それは絵の目指すところを話し合いたいという事かと思う。それには時間がなかった。

 多くの人が絵の指導をしている。その経験が人の絵の見方をゆがめているのだと思えた。ここは欠点だから、直せばいいという指導する目で作品を見る。それは自分の生徒に行えばいいのである。作家同士が作品を批評し合うという事は、その人が何を表現しようとしているのかを問題にしなければならない。

 絵が上手になるために水彩人をやっているわけではない。絵は何を描くべきなのか。そもそも絵画とは何を目指しているのか。作者として何を表現すべきなのかだけが問題なのだと思う。そういう眼から、他の人の批評を聞いていた。
 なるほど、教室の先生の意見がおおかった。その人の世界を表現するためには、この欠点を直すべきだというような意見なのだろう。本来の批評はその人の世界の表現が、深まっているのか、方向がそれてしまっていやしないか。ここに話を向けるべきだと考えている。

 絵がおかしなことになっている人もある。そのおかしさが、次に進むためには必要なことであとすれば、おかしさの理由が問題なのだろう。そこを語り合うべきだと思う。
 絵は常に自己否定してゆくものだと考えている。前に進むという事は、新しい世界を切り開くという事である。つじつまが合わなくて当たり前である。それが水彩人展が研究会であるという意味だと思っている。

 絵を語る会はこの点では、その人の方角がいつも問題になる。極端に言えば、こういう時代の中で、こういう方角を模索することにどういう意味があるかというようなことである。その人作家としての連続を見なければ、意味がない。

 10月1日には展示作品の絵を語る会を行う。私は自分が今何をしているかを語ってみたいと考えている。それは絵を並べてみて、自分自身が確認できるものでもある。語ることで自覚するという事でもある。絵を描いているだけでなく、こうして水彩人に作品を並べるという事は、自己確認のためである。

 自分の絵が自分というものへの途上であってほしい。自分の世界観を探っている物であってほしい。果たしてそうなっているかどうかを確認したいと思っている。いまさら上手な絵を目指したところで始まらない。

 水彩人展は9月27日の金曜から始まる。初日は14時から開展である。上野の東京都美術館。会期中は03-3823-6921で水彩人事務所に連絡が付く。10月5日までである。

 

 

 

 
 

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