自分を変える事はできたのか。

   

 この写真は全くいつ写したのか分からない写真である。タブレットを調整していて偶然写してしまったものだ。最近の自分の意識しない姿なので、70歳の自分と言うことで載せておく。

 70歳になる。ここまで生きてきてしまえば、私という人間の結論はほぼ出ているのだろう。少しあっけないような、残念なような気持ちもあるが、まだまだという気持ちもある。若い頃になろうとしたような人間になれたのであろうか。ここである。

 子供の頃描いた、大人の自分というものに近づけたのであろうか。立派な大人になりたいと思っていたのだと思うが、立派なと言うことは少しも分からないで居た。世界に痕跡を残せるような人間を立派だと思っていた。我ながらこれには恥ずかしい。
 その後、幾人もの立派な人に出会うことで、立派というものがどういうことかすこしづつわかった。それは本であったり、絵であったり、そして、師であり、友人である。すごい人たちから、自分の方角を学んだ。

 70歳になっても自分と言うものの基は変わったようでもない。中学生の時に松陰神社の家で、ブルドックと一緒に寝ていて、一晩寝たら石垣島の今に目覚めたような感じである。やっぱりその時々であり、先のことなどなにもなかったのだと思う。

 人間の性格は変えられる。変えられると確信を持てば変えられる。私は自分を変えることができたような気がしている。ともかく変えなければこれ以上生きられない、と考えたことがあった。何度かあった。

 性格を変えた事を書いてみる。ひどい面倒くさがり屋であった。病的だったと思う。子供の頃精神科の病院にも通った。何をやるのにも常に面倒くさい気持ちがつきまとい、何かをやらなければと考える重さで疲労困憊になった。

 無理にやるべきと考えることをやると強烈な疲労感に見舞われた。例えば歯を磨くという事が出来ない。顔を洗うという事が出来ない。お風呂に入るという事が出来ない。汚いことこの上ない。自分もいいとは思わないが、すべてが面倒くさくて出来ないのだ。

 生活すべてがこんな具合だった。だらしがないことこの上ない。そのために迷惑を掛けることもままあって申しわけない事だったと思う。それでもどうに70歳までやってきてしまった。どうやって、面倒くさがり屋をしのいできたかである。

 幸いなことに今はあの感じが思い出せないぐらいなのだ。疲れることがなくなった。好きなことならやれる。この一点である。好きなことならやって疲れることもない。その結果、いつの間にか好きなことだけをやるような人間になった。

 ある意味仕方がなく、好きなことばかりをやって生きてきた。特に幼児から高校生まではひどかった。好きなのは動物だった。鶏や犬が好きで、飼ってもいたし、やたら見て歩いた。愛犬の友という雑誌があり、その通信欄に子犬が生まれましたという広告が出る。これを見に遠くまで自転車で行く。

 おかしな子供が、犬を見せてくださいと現れるのだから、迷惑なことだっただろう。それでもいやな顔をされた記憶は無い。動物好きがあふれていたからだと思う。

 その後いくらかは治り、学校に務めたこともあったのだが、病的な私に勤めができたのは、自由にやらせてもらえる世田谷学園だったので続いたのかと思う。好きなように教えさせてもらった。一緒にやって生徒に見て貰うようにしていた。
 美術の授業は自分の興味のあることしかやらなかった。好きなことだから、相当熱心にやった。生徒と一緒に描いたり、工作をしたりした。私自身が面白いと言うことをやった。今でも生徒と一緒に作ったものが、石垣の家にある。

 絵を描くこと、鶏を飼うこと、田んぼをやること。このブログも面倒くさがりの割には続けているので、文章を書くことが好きなのだと思う。というか好きになったのだろうと思う。一見持続力があるかのように見えるが、全くそうではないと思う。面倒くさいを克服して、やれるという方法を見つけた。

 面倒くさいことは、規則化しないと克服できない。規則にして習慣にするほかない。このブログは始めるときに毎日書くと決めた。一日書かなければ、間違いなく途中で止めたからだ。毎日朝3時か4時に起きて、一時間はブログを書くと決めた。決めてもできるわけが無い。

 人の力を借りる必要がある。書き始めたのは、ピースカフェという紙の通信を作って配っていた。ブログ化したものである。そのときに、仲間のTAKEさんが、わざわざ家に来てパソコンでブログを設定してくれた。その後も分からないことがあれば、飛んできて教えてくれた。TAKEさんに感謝して書き続けることになったことが、面倒クサイを克服できた一番の理由だ。今でも時にコメントで励ましてくれる。
 フランスで入佐さんという人に世話になった。入佐さんが礼を言うなら、次の他の人に何かしてあげてくれればいいと教えられたことである。(入佐さんは若い頃、八重山の多分与那国のペンションで働いていた人だ。) 

 人とかかわることで、面倒くさい性格がいくらか治ったのだ。私がやることが、他人の為になることがあると嬉しくなる。それが継続できる好きなことになる。

 パソコン音痴だった私が、なんとかブログが書けるようになった。ブログを書くために、まずブラインドタッチの練習CDと言うものを購入した。一週間学習法である。本当に一週間でできるようになった。これでかなり楽になった。今では考える速度でキーボード入力ができる。

 今でもTAKEさんのあの親切は忘れられない。間違いなく、継続の発心は武さんである。そう思うと、自分が人の好きなことの手助けはしたい。あしがら農の会を始めたことは、多くの助けてくれた人への感謝である。

 人と関わることで、面倒くさいがかなり軽減できる。一人でできるようになったらみんなでと考える。ブログというものが外に開いたものであったと言うことがある。ブログを読んでくれて、農業に興味を持ってくれた人が現れた。

 農の会を訪ねてくれた人が農の会に参加したこともある。田んぼをやってみたいと、このブログから来てくれた人も居る。養鶏のことで、質問がこのブログから来ることもある。こういう人と関われる良いこともままあるので、面倒くさいがいつの間にか軽減された。

 今も「小さな田んぼのイネ作り」の実践をこのブログで見てもらっている人も居る。本でわかりにくいことが、ブログで確認できる。遠く離れた人でも、参考にしてもらえる。そうすれば、田んぼの楽しさを体験する人が、増えるかもしれない。

 人の世話になることを恐れない。世話になった分お返しすればいいと思い生きるようになった。これが面倒くさい性格をかろうじて、普通にしてくれた原因である。当然のことだが、すべて人様のお陰である。



 - 水彩画