70歳からの生き方について

   

 絵のサインである。焼き印を作るときに作った原画。

  70歳になった。古希というような気にはならないものだ。気分的には若い頃とほとんど変わらない。絵を描くだけという一生である。自然養鶏と自給のためのイネ作りは自分なりに一応のまとめをした。何をしていても、絵を描くことばかりに生きてきた。

 小学生の頃も絵を描いていた。絵が好きという意識は無かった。それでも小学生コンクールに絵を出していたのだから、描いていたことは間違いが無い。それから途絶えること無く、今も絵を描いている。

 その頃の絵のことを思い出したので書き留めておくと、東京ガスのコンクールだったと思う。田舎の暮らしと都会の暮らしというテーマだった。私のように田舎と都会を行き来している子供に最適のテーマだ。頭で絵を考える子供だったのだろう。ガス風呂と台所の様子を描いた。藤垈では風呂焚きが担当だったからだ。

 絶え間なく60年も絵を描いていることになる。まだ自分の絵を描いていると言うところには来ていない。自分の見ている世界が描けていない。子供の頃藤垈の向昌院から、両側にある山の間から、広がって見える甲府盆地の空間の姿が思い浮かぶ。

 見下ろすように坊が峰というなだらかな小山がある。その向こうに笛吹川。そして、甲府盆地が煙るように広がる。さらに奥にあるのが、八ヶ岳から雲取山までの、甲府盆地を囲む屏風のような山並み。南のお盆の縁から北の方角を見ている。現実に見ているように思い出す事ができる。

 思い出すのは、いつもあの風景なのだから、よほど心に残っている。盆地には田んぼが広がり、鏡のように光り浮き上がって見えた。春になると田んぼの輝きが、一面に広がりその昔は湖だったという歴史を想像させた。伊勢湾台風では本当に湖になってしまった。あの光景は忘れがたいものがある。

 石垣島の風景に惹きつけられたのも、子供の頃の記憶につながっているからに違いない。あの盆地の空間の動きに惹かれる。田んぼを見下ろして広がってゆく風景である。川や、田んぼが光り輝く事で起こる動きである。地面というものは空の明るさを反射しているという感覚である。

 この動きは天地生動だと思っている。自然界の深層のようなものが現われていると考える。それは霧が出れば盆地の中で流れる渦となり視覚化される。普段は視覚化されないのであるが、光は渦となり、流となり、空間を漂っている。絵を描く目はこの動きを見ようとしている。

 眼は見ようとしてみたいものを見ているのだと思う。描くべきものが目の前にあると言うことはありがたい。この先描くべきものが見つかったと言うことである。自分の方角がやっと見えてきた。ずいぶん遅い愚鈍だが仕方が無い。

 70歳からの生き方と言う意味では、後最低10年は生きたいと言うことである。自分の絵を描くにはあと10年必要である。60歳から後5年で養鶏業を始末しようと考えた。65歳からあと5年で絵に専念する暮らしにと考えた。ここまでほぼその通りに進めた。やっと始まっているのが絵を描く暮らしである。

 75歳までは小田原で農業を年の3分の1行う。3分の2は石垣で絵を描く。こう考えている。75歳になったら、農業は辞めて、石垣で絵だけを描く。こう考えている。何でも決めたように進めるので、死んでしまうような特別なことが無ければそうしたい。

 石垣にいると絵をただただ描いている。他のことは特にないので、絵を描くことに専念できる。ご飯を食べるのも、寝るのも、三線を弾くのも、ブログを書くのも、すべて絵を描く道すがらのような感じだ。ここまで絵を描けるというのは、金沢にいたとき、フランスにいたとき以来かもしれない。

 問題はその絵である。絵が自分に向かって進んでいるかどうかの自己検証である。これは極めて難しい。大体に人間自分のことは見えにくい。どうやって自分の絵を客観視できるかである。

 私のよりどころは水彩人である。水彩人で絵を並べてみることが、大きな指針になっている。絵を語る会も大切である。悪くなっているときに悪くなっていると言ってくれる人がいないと、絵はひどいことになる。一人でやれることなど限られている。
 
 山本素鳳先生も座禅を一人でやってはならない。と言われていた。危険だと話された。とんでもない場所に行くと言われていた。良い仲間を持てるかが、この先大事なことになる。普通の人間である私は自分が見えなくなるに違いない。

 こうして、70歳まで生きているのは感謝しなければならない。幸運でありがたいことだった。自分の絵に専念できるところまでこれた。この先は1年、一日が幸運であると思わなければならない。補償されたこの先の年齢は無い。今日一日絵が描ける幸運。

 一日、一日やり尽くしてみようと思う。70歳になってみると、絵を描く事以外に何も無い。そのことに満足できるという事がありがたい。古酒の甕が7つある。ずいぶん飲みでがある。これを残して行くわけにはいかない。

 斯うして自分を考えてみると、生きると言うことはずいぶん勝手な、個別なことである。人様の参考にはならない、70歳である。そうではなく、70歳からの生き方それまでの70年というものの咲にしか無いのだから、人それぞれは当然のことになる。

 

 - 水彩画