ワクチン接種は思いやりという考え方
インフルエンザワクチンを打たないと書いたら、その態度は私に弱者に対する思いやりがないからだ。というコメントがあった。少し一方方向な発想だが、それも一つの考え方であることは認める。一つの考え方かもしれないが、恐ろしい考え方でもある。弱者へ思いやりを論拠にする考え方に、嫌な全体主義的なきな臭さを感じる。反論のできないような角度から足をさらう匂いである。そのこともあるので、あえて再度多分10回目くらいのワクチンを打たない理由を書く。このコメントを書いた人の意図にそうした全体主義的な気持ちがあるという訳ではない。この考え方の先にあるものへの不安。薬に関しては自分の為だけを考えて必要だと思えば、インフルエンザワクチンを打てばいい。他人のことを持ち出す必要はない問題だと思う。麻疹と混同しない方がいい。ワクチンの効果のレベルにも様々ある。インフルエンザワクチンの効果はまだかなり低いものだ。10%の効果しかないと、ワクチンを推奨する医師が書いているぐらいだ。医師によってはこのレベルなら使わない方がいいという主張も多数ある。
10%の効果しかないものであれば、私が打とうが打つまいが、統計的に意味がない。弱者の中に老人も入れていたが、8月には69歳の私は老人枠か。これが50%ぐらいの効果があるワクチンであれば、人類全体が打てば、かなり効果が高まるという事はある。風邪だと思った人はその時点で家で寝ていればよい。そちらが先だ。出歩かない事が、感染の広がりに対する思いやりではないだろうか。風邪は無意味にかかる訳ではない。原因があり、感染している。感染したとしても発病をしない人もいる。風邪を侮ることはあってはならない。風邪をひくという事は自分の身体の問題が表面化したという事だ。薬で対応せず自分の体力で直ることで、その問題点の解決になることもある。もちろん風邪をひかない努力をすることが前提である。免疫力を高める努力をする。それでも風邪をひきそうになったら、充分に体をいたわる。内観法である。日々自分の身体を自分で確認する。目はどうであるか。脳はどうであるか。心臓はどうであるかと、体の隅々まで感じ取る。
自然養鶏を長年やってきた。鶏の病気にどう対応するかで様々病気のことを、実践を通して学ばせてもらった。鶏の場合ワクチンで対応する。薬剤で対応する。淘汰をしてしまう。様々な方法があるが、一番の病気対策は健全な鶏を育てることだ。私は一切の薬剤を使用したことがない30年の養鶏業であった。よい環境を作り出してやる。良い環境とは病原菌のいない環境ではない。多様性のある自然の姿である。健全な鶏が健全な環境で飼育されていれば、まずは病気にかかることがない。そうした努力をせずに、何万羽という鶏を一か所に飼う人工的環境。その結果、薬剤を徹底的に使わなければ病気が抑えられない。しかし現実では、そうした大規模養鶏場では鳥インフルエンザが感染する確率が極めて高い。実際に茨城県での流行の際に、地域の自然養鶏の養鶏場では感染せず、大規模養鶏場では次々と感染が広がった。今まで日本での感染事例を見れば、何処も大規模養鶏場である。一例大分で、小さな趣味の鶏が感染した事例がある。これは、本来実に弱い鶏種の鶏であったから感染したと考えられる。もしこれがトキの保護施設でインフルエンザが流行したとしたら、すべてを淘汰したのだろうか。
薬でかろうじて病気を抑えていても、その限界を超えれば、感染には極端に弱いものである。本来の健全な鶏とは違うのである。鶏と人間と一緒にしては申し訳ないが、ブラック企業で働く人など、健全な状態とは到底言えない。その働く環境の改善よりも、インフルエンザワクチンを打てと言っているような気がしてならない。以前大企業で精神衛生のケーアーを担当していた人から、病気を治すことが良いことなのかわからないという話を聞いたことがある。病気を直すことが、環境の改善をしないことに繋がっている。またあの悪い環境に戻り再発するというのだ。病気を治す以上に、職場環境を直すことが大事だという事だった。インフルエンザの流行する根源を絶たなければ、どうにもならない。対処療法的にワクチンを打てばいいでは問題の解決にはならない。大規模養豚場と、養鶏場の問題である。鳥インフルエンザのウイルスの変異の源であり、発生源である。これをそのままにしておけば、さらなる手に負えない、ウイルスや、耐性菌の発生の可能性があるのではないか。