前川前文部事務次官への嫌がらせ

   

文部省は加計問題での政府のやり方に、疑問があるとした前川前事務次官に対して、必要な嫌がらせを継続している。教育の実際に文部省が口を出すことは、極めて危険なことで、教育の国家統制に繋がりかねない由々しき問題である。加計問題での政府の圧力について、前川氏が批判した際には、前川氏が風俗店に行ったというようなことを報道に流すようなことまで行った。何か今までになく陰湿なにおいがしてならなかった。今度は名古屋の方で、前川氏に総合学習の授業を依頼した公立中学校があったようだ。それに対して、文部省の天下り問題で停職相当とされた人間に授業を依頼することが問題ではないかとして、文科省が市教育委員会に事業内容の録音の提出を求めたというのだ。その授業内容は新聞に出ていたが素晴らしいものだ。前川氏とかかわると、損なことになるというような、圧力を教育界全体に圧力をかけているのだ。実にいやらしい人権に対する圧力である。辞めさせられた人間であろうと、何を話したかまで文科省に報告しなければならない理由はまったくない。

加計問題において、獣医学部を四国に作るという事は、私は基本理念は賛成である。しかしその設立において、アベ総理大臣の盟友である人が理事長の学校という点から、様々な疑問が生じた理由も想像できる。確かに、盟友である人が獣医学部の新設を行ったことを、ゴルフをしたり、会食をしていながら、全く聞いたことがなかったという点が不自然である。加計氏が話さなかったとしたら、あえて話さなかったという事なのだろう。総理大臣の友人に、政府のかかわる問題を話しては良くないという配慮があった可能性がある。しかし、総理大臣になるはるか前から、加計氏は獣医学部新設をしようと働きかけをしていた。正式な申請に至る遥かに前のことだ。それも知らなかったと言い切るとなると、ちょっとそれはおかしくないかという気がした。獣医学部新設は素晴らしい発想である。政治家であり、日本のことを考えている友人に自分はこういう事が必要だと考えていると話すのが普通のことであろう。

アベ氏が強く否定するときには、実は怪しまれたくない余りに、言い過ぎることがある。例の関係していたら政治家を辞めるという国会答弁に見られたことだ。家計学園の獣医学部の話を聞いたこともなかったと強く断言したのは、むしろ相当に怪しいことの気がした。それでも、獣医学部は出来た。そして、前川氏は文科省を辞めた。そして今なお、前川氏の動向を探り、圧力をかけ続けている政府がある。逆らったものを徹底的に苛め抜くやり方は、見せしめなのだろう。前川氏がひどい目に合う事で、官僚たちが政治家の言いなりになるだろうという思惑が見える。このやり方の陰湿さに、アベ政権の鵺の存在を感じる。森友事件では近畿財務局の職員が自殺をした。公文書の内容が交渉過程に関して詳しく書きすぎているから、もっと簡潔にしろと言われたらしい。その完結の意味は書かれている人の名前などは削除しろという事だったようだ。

書き換えられる前の文章を読むと、確かに不自然に感じる。なぜ日本会議の名称まで書いておいたのか。安倍昭恵氏の名前まで記載されている。そのほかいろいろの政治家が書かれている。これは圧力があったことを、不愉快に感じた仕返しではなかったか。担当官が、籠池氏という圧力のすごい人間との交渉に辟易した感じがする。しかもその学校はアキエ夫人が名誉校長である。あとでは安倍記念小学校と命名するのだなどとも話したのだろう。アキエ夫人の付き人からも問い合わせのファックスが財務省にきたりする。この話はおかしくないかと、たまらないと感じた可能性がある。そこで、一寸の虫にも魂はあると、出てきた名前を記録しておこうとしたのではなかったか。その為に、こんな理不尽な結論を出さざる得なかったという事を、示そうとしたのではなかろうか。しかし、事件そのものがすべて闇に葬り去られようとしている。この理不尽に耐えられず、自殺をした。もしかしたら、朝日新聞への内部告発もしたのかもしれない。

政治に嫌なにおいがしてならない。すべては小選挙区制に始まったような気がする。小選挙区制は自民党を、上の意図を伺うだけの集団にした。そして公明党を、ただ立ち回りだけの政党にした。以下の話が前川氏の講演の内容とあるが、政府の皆さんに聞かせたいような話だ。それで録音を取り寄せたかったとは思えないが。

◆前川氏の講演要旨

 前川氏が名古屋市北区の八王子中学校の授業で講演した要旨は次の通り。

 奈良県の田舎に生まれ、小学校の途中で東京に引っ越した。その時、都会になじめず一時、不登校になった。学生時代は引っ込み思案で、今のように人前で話すタイプではなかった。人の性格は変えられる。

 学生時代に読んだ、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」という本に影響を受けた。本から「人と人とはつながるけれど、別々の人間として分かり合っていく、人とはそういう存在だ」ということを学んだ。

 これからの日本、世界がどうなっていくのか分からないが、未来をつくっていくのは二十二世紀まで生きる皆さんだ。少子高齢化もあり、今までのように日本人だけでつくる社会ではなくなる。多文化共生社会を外国から来た人とも一緒につくれるかが大きな鍵。そのためにも、いろいろな人と話しながら問題を解決していく力、生涯学びながら生きていく力が必要。そうした力を中学生の間に身に付けてほしい。

 文部科学省を辞めてから、夜間中学を拡充する活動に力を入れていて、実際に自分が教えることもある。昔は中学にいけない人がたくさんいた。高齢の人に小学校低学年が学ぶ漢字を教えることもある。在任中から気になっていたが、ほったらかしにしていた。今は「学び直す場をつくる」ということが活動のテーマです。

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