ディープラーニングの作り出す未来図
囲碁においてディープラーニングというコンピュターの思考方法は人間を超えた。囲碁は複雑なゲームなので、囲碁によって方法を開発できれば、他のことにも応用が可能という事で開発されたようだ。新しいディープラーニングゼロというものは、囲碁というルールだけをインプットして、3日間自分どうしで390万回戦い続けて、人間を超える強さにまで至ったという。つまり自己研鑽能力が高い。そして、将棋やチェスなどのゲームはさらに簡単に数時間で今までのどのソフトよりも強くなったという。かなりの分野で人間の思考能力を超えた。例えば顔認証においては、人間の能力を凌駕したという。見えているという事を理解する。この能力は実は相当に奥深いと考えて、絵を描いてきた。その見るにおいてもどうも人間を超えたようなのだ。人間がカンと読んでいたような、あるのだけれど人間特有の感性と思われていたような分野を、コンピューターが越えようとしている。
390万回3日間という数は、極めて少ない時間でかなり複雑なことが解明できることを意味する。この能力が様々な分野に応用が広がるという事らしい。すでに、囲碁などのゲームについては終わりにして、次の分野の展開に入っているらしい。390万回を3日間でこなすためには、グーグルという大組織が必要だったという。グーグルでは囲碁ゲームはあくまで実験であって、もっと人間社会の未来を考えているようだ。例えば環境問題などに取り組んでいるという。どうすれば温暖化を止めることができるかというような方法を、ディープラーニング方式で探っているらしい。この手法は人間の思考を超えているらしいことは明確になってきている。地球のあらゆる状況をインプットすると、その未来図をどんどん探り出してゆく。政治的判断などは、まさにディープラーニングはどう考えているかをテレビでは世論調査のように主張するだろう。ディープラーニングは医療分野で大きな成果を生みだす予測。病気の診断は人間を超える可能性が高い。これからの病院では、ディープラーニングのセカンドオピニオンが備えられるのではなかろうか。
何しろ情報の処理能力は人間よりもすでに優れているのだ。そのほかあらゆる研究分野で活躍するはずだ。今までは人間がカンで目星をつけたようなことは、すべてをやってみてしまうということで解決する。これは企業競争に大きな影響を与えてゆくことになりそうだ。早くこれを取り入れたものが勝つのだろうが、取り入れるためには莫大な費用が必要になる。その結果、国家と、社会の格差は広がってゆくの可能性の方が高い。国家間の競争も軍事利用を考えれば、恐ろしい化学兵器や手に負えない病原菌なども簡単に作れるようになるのかもしれない。力を力で制するという考え方では、国も社会も成り立たない時代になるだろう。競争という意味が変わる。専門の囲碁の棋士は機械同士の囲碁の方が、見ていて面白いというのだ。人間の発想では及ばないような手が打たれ、それが終わってみれば理にかなっているので驚くという。その感動は一過性のものに過ぎない気がする。自動操縦の自動車レースを見ていて何が楽しいのかという問題でもある。ゲーマーの戦いを入場料を払い見る時代。人間というものの衰退の兆しなのか。
ディープラーニング方式というのは量が質を凌駕するという方法なのだろう。凄い能力のコンピュターを凄い量そろえて、一気に稼働させれれば、人間の数万年の歴史的蓄積が数日で越えてしまうような事が可能な能力の機械の登場が近い。ある意味人間が人間を超えてしまう機械を手に入れようとしている。この時に人間が意味が変わるのかといえば、私には人間という本来に立ち戻ることになるという期待がある。ただ命として一日を生きるという意味に立ち返るしかないのではなかろうか。競争は機械に任せて、一人が生きるという意味をそれぞれがどのようなものかと考える。囲碁の初心者だから囲碁が面白くない訳ではない。強いから偉いというようなものではなく、そのものを楽しむという事はあり得る。絵を描くという事はまさにそういう事だろう。マチスの方が私より絵を描く深い喜びを知ったかもしれない。然し私には私だけの絵の楽しみが深い。絵を描くという事を味わう事は人間にしかできない。自分が見ていることをどういうことなのか描いてみる面白さは、限りないと思う。