仏壇を作る
仏壇を新しくした。以前から仏壇はあった。昔、浅草の翠雲堂であつらえた、小さいけれどなかなか良い仏壇があった。翠雲堂の息子さんを世田谷学園で教えていたので、その縁で買いに行った。長年それを使っていたのだが、今度仏壇を変えることにした。自分で作ろうと思ったのだ。どうもあのいわゆる仏壇に違和感があった。といって、新式の仏壇を買って来ようとしても、気に入るものがない。どうも私や私の父や母や、そしてご先祖の方々はあの仏壇では納得していないような気がしたのだ。私のご先祖の方々は、いわゆる趣味性の強い人たちだったようだ。残された机一つでもやたら凝っている。きっと仏壇にも一言あるような気がする。そこで私としては、全く私の好みの仏壇を作ってみようと思った。それなら、不満はあるだろうが、そういうへんてこな感じは受け入れてくれそうな気がするのだ。少なくとも今までよりもましだろう。
そこで、いろいろ考えた末に、家のご先祖が、左半分に、奥さんのご先祖が右半分に入るように区分けをした。そんな仏壇があろう訳がないが、それの方が我が家では丁度良い気がした。私の両親は看取ってくれたのは家の奥さんである。親孝行というほどではないが、一緒に暮らして、介護をして亡くなった。私だけでなく、うちの奥さんもよくしてくれた。私も奥さんの両親にはできるだけのことはした。やはり他人とは違う思いがある。だから仏壇には両親に入ってもらわないとおかしい気がする。と言って同居するのもおかしいので、一応お隣という形で作る方がいいかと思った。仏壇というものの本来から言えば、おかしなことなのだろうが。自分たちの為の仏壇でいいと考えて作ってみた。一番奥の壁に当たる所には、金箔を張った。私の家の方は私が張り、カヨ子さんの家の方はカヨ子さんが張った。上手に貼れた訳ではないが、金沢の金箔やさんで買ってきた良い金箔を使った。やはり仏壇には金箔が欲しい。奥で光りを受け止めている感じがとても良い。
お水の器。お水は仏壇の主役のようなもので、湧水を時々入れる。鐘は合図で鳴らす。木魚はお経を読むとき感じが出る。ロウソク立てはめったに使わないが一応用意してある。塔は主役。戒名を描いた位牌の個人性よりも、もう少し全体性を感じる。欠けた仏頭がある。これは捨てがたいので仏壇に置く。引き出しには、お経。写真。思い出の品等。仏壇の前に広くものを置けるようにした。広げてある布は、八重山絣である。ここには花や食べ物を飾る。家で花が咲いたならば、ここに一輪さしている。朝に開く。そして寝るときには閉じる。朝開いたらお線香は上げる。気が向けば御経も読む。毎朝ではない。坊さんではあるので、一応のしきたりのようなものは知っているが。あえてそれには従わない。命日だからどうのというより、自分の気分の方に従う。人が来た時にも基本閉じてしまう。閉じてしまうと仏壇と思う人は居ない物になっている。何故閉じるかわからないが、よその人に仏壇は違和感があるような気がする。
仏壇のようなものはすべて自分の為のものだ。どのみち自分が生きている間の仏壇である。末代に何かを残すような気持もない。それでも私の生きている間は両親と、かかわりがある方が気分が落ち付いていい。私という人間はすべてが両親のお陰である。いまさら気づく方が、おかしいような当たり前すぎることだ。私にとって、どう考えても私の両親以上に良い父親も、良い母親もいないのである。それは、祖母も、祖父も、全く最高の人たちである。幸運だったのだろう。あるいは誰にとってもそうなのかもしれない。そう思いながらも、適当な敬い方を持たないできたことは良くなかった。心の中で思ってはいたのだが、少し形に表してみたくなった。年を取り自分の死が近づいて、ご先祖が身近になったせいなのだろう。私には線香をあげてくれる人は居ない訳だ。それはそれでさっぱりしていていいと思う。それでも私が生きている間は、ご先祖の仏壇に火を灯そうと思う。