水彩画の描き方

   

19回水彩人展 「石垣島名蔵湾」会場での撮影 

絵は、画面という摸索の結果の形が分かるだけに、観念に陥らないところが好きです。絵を描きだして、ある時紙が絵に変わる。それからは全部が絵になるように、追いつ追われつ。何度も、何度も絵でもなくなる。自分の絵という羅針盤に従っているようで、嵐の中で、進路を失い漂っているようでもあり。この航海自体が、目的地よりも重くなっているようです。ーーー松波さんのコメントに際して、

絵を描くというのは果てしないことだと思う。描くほどに自己否定の道にならざる得ない。絵という結果の物存在は必要があるのかどうかさえ、最近は危ういきがしている。絵というものに向かい合う事がなかなかの困難。それなのにやるというのは真実に近づく、行のようなものを絵を描くという事に見ているからなのだろう。これも間違いかもしれないし。絵を描くのはそれなりに楽しいのだが、結局はどうにもならないという事に、繰り返し気づかされる。後に来る情けない辛さは苦しい。楽しさどころではない。絵を描くという事に結論は見いだせない。だから、ほとんどの絵が途中までで終わっている。結論が出せない。写生の現場の反応であとは投げ出しているようなものだ。アトリエで引き継いで描こうとするのだが、ここに大きな壁がある。やりだすこともあるが、家でやることと、現場で描いていた世界との関連が見いだせない。アトリエでは絵作り的仕上げをしている気になる。それもどうなのかわからないのだが。家で描く気分が絵作りで絵を仕上げて見栄えを良くしているようで。

苦行というものがなぜ必要かと言えば、苦しいという自分を自覚し続けるからではないかと思っている。楽しい楽しいとか、ああやり遂げたという世間的な意味の結果からくる満足感で、思わず自分の現実を忘れてしまうことになる。能天気の極楽とんぼである。日々笑って愉快に暮らせば一番という事だろう。ところがどうも、私にはそれが一番には思えない。それどころか、そんな道では自分というものを知るという事が出来ない。自分という素材をやり尽くすという事がかなわない。子供の頃歯磨きのチューブというものが出来た。すでにあったかもしれないが、歯磨き粉というものは粉で、箱か、袋に入っていた。それを歯ブラシに付けて歯を磨くわけだ。自分用の確か、みかん味のチューブの歯磨き粉がうれしくて、少しづつ使った。だんだん薄べったくなり、最後に空になった。ように見えた。そこで、歯ブラシの柄でしごいて、一回分出した。それでも捨てなかった。今度は切り開いてすべてをこすりつけ、もう一回使った。そこでやっと絞り尽くして安心した。

あらゆる生きるという道は困難に満ちているのだろう。絵描きになろうとしたころ。子供の頃、学生の頃、教員をしていたころ。開墾生活をしたころ。養鶏業を始めたころ。自給農業を突き詰めようとしたころ。それぞれ精一杯やっていた気がするが、それらはこれからの助走の様なものだ。そういうすべてを今は終わりにして、絵を描くという一つに成ろうとしている。70歳には完全にそうなるつもりだ。それからあと何年生きるのかはわからないがやり尽くしたい気持ちだ。自分を突き詰めてみたいのでこれ以外に仕方がない。自分という生まれ出た素材を、幸か不幸か受け止めて、ともかくやり尽くして死にたい。中途半端が嫌なだけなのだろう。絵は小学生のころから、描いていた。祖父は大正時代のイラストレーターのような人で、叔父が彫刻家であった。そのことから、芸術というものが尊い仕事であるという意識があった。自分の好きなことを見つけるのが若い人の仕事だと、父から言われていた。絵を自分の好きなこととして見つけた気になった。

中川一政氏の作品は、現場の仕事と晩年のアトリエの仕事とは違うと思う。現場の仕事は格闘しているような絵だ。自己否定の連続が絵に見て取れる。晩年のアトリエでの絵は結論に向っている。90歳以降の絵には摸索というより、世界観が漂っている。なんだかわからないが一つの宗教とか、哲学とか、思想とか、そいう混然としたものが、一事として、絵になっている。別段偉い訳でもなく、良い絵という訳でもなく、ただ中川一政氏がいる。ああやり尽くしたという絵だ。この先、ここに学ぶ世界がある。自分というものを絞り尽くしたい。自分の命を使い切りたい。みかん味の歯磨きチューブのように、完全に使いつくしたい。その為に絵を描いている。死ぬまでに自分という命の能力を出し切りたいと思っている。そこまで行けば、大したことではない自分というものが何たるかが分かるような気がする。

 

 

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