台湾萬歳という映画

   

映画館の上にある、のんびりした広い喫茶店「ポレポレ座」ここで開演を待っていた。麦を焙煎したコーヒーを飲んだ。これなら麦茶をもっと焙煎してもいいのだと納得した。

中野のポレポレ座に映画を見に行った『台湾萬歳』監督酒井充子、ドキュメンタリー映画だ。台湾には行ったことがないが、台湾という国に興味と憧れがある。それはどこか不思議な温かさがこの国から聞こえてくることがあるからだ。特にその親しみの湧いてくる源泉は、たくさんの原住民族の方々にある。原住民という言葉は台湾の先住民民の人たちが選択した名称だそうだ。先住民と言うと何か失われてゆく感があるので拒否したらしい。高砂族というような名称で、私は子供の頃聞いた記憶がある。高砂族の名前は1895年から台湾を領有した、明治政府が付けた名称である。多くの人たちが台湾の山岳地帯に暮らしていた。日本政府は統治の為に山岳地帯から平地へと強制移住させた。そして台湾開発の労働力として利用した。その労賃が未払いのまま残っている。日本は日清戦争に勝利した結果として、台湾を植民地化した。台湾を考える前提として日本人は植民地化したことを、自覚し反省をしなくてはならない。現在原住民族は549,679人とある。一番多いい民族がアミ族20万人以上いる。台湾の総人口の3%近いぐらいで、増加傾向にある。台湾は16世紀ポルトガル後にオランダによって領有される。

中野ポレポレ座 良い空間のこじんまりした映画館。

そもそも台湾は中国であったわけではない。沖縄と似た歴史を持つ島である。中国にとっては、未開の島であり、首里王朝が独立国として存在しながら、中国の支配を受け入れていたのと似た関係にある。17世紀になって清国が支配することになる。そして大量の福建人が入り始める。そして水田開発をする。それは、この島が豊かな島で、中国人の移住願望の目的地になっていったからのようだ。高い山があり、水が豊かで水田が可能な平地があった。しかも未開のジャングルとして広がっていた。同じ植民地となった朝鮮が、日本に対してずいぶんと違う反応を見せる要因は、やはりその歴史にあるのだろう。台湾や沖縄が独立国家としてありながら、ゆるやかな所属関係にあった。中国から海を隔ていることが、大きな違いになっているのだろう。朝鮮は中国と激しい戦闘を繰り返し、隷属を強いられた歴史が背景にある。さらに日本は中国から距離を置く東の果ての、日いずる国である。地理的要素で大きく国の性格が変わる。

映画のことだった。実は「海の彼方」という映画を見たいと考えて、ポレポレ座を調べていて、台湾萬歳を知った。石垣島にはたくさんの台湾の人が暮らしている。また、台湾との交流を深めるための、石垣からの訪問団の台湾訪問記も、新聞には時々書かれている。石垣に行くと必ず食べに行く美味しい中華のお店のオバさんも台湾から来た人だ。とても気さくで、暖かくしてくれる。台湾から来た人達の暮らす部落もあるそうだ。今は、台湾からのクルーズ船も寄港し、台湾からの観光客が沢山街を歩いていることもある。石垣の空気に開放感があるのは、台湾の人たちとの交流にあるのではないかと感じるようになった。おおらかで気取りのない台湾の人たちに、興味が湧いてきた。台湾から来た人の集落もある。「海の彼方」は1930年代台湾から石垣に移住し、波乱の歴史に翻弄された玉木家族が、初めて台湾に里帰りする話である。玉木一族はいまや100名を超す大家族になっている。

台湾に行ってみたい。そういう思いはだんだん強くなっているのだが、そのまえにと、今回「台湾萬歳」を見た。映画を見て少し、台湾の不思議が解け始めた気がした。台湾の暖かさは人間の生きる悲しみのようなものに繋がっている。悲しいから暖かい。土地に根差して生きるという人間の営みの底にあるもの。人間は命を頂かなければ生きて行けない。大自然から生き物を頂いて生きる意味と、悲しさ。それは祖先とともに生きるという事でもある。そして、脈々と繋がってゆく子孫への思い。隷属させられ、虐げられた悲しさと、人間の生きる悲しさが行き来した。日本人が忘れ始めていること。今台湾のことを知ることは、日本の未来にとても意味が有る。「台湾萬歳」はそういう映画だった。未来を失いかけている日本。国家の安寧とはどういうものかである。日本がどこへ向かうべきかである。そういうことを考えさせる映画だ。中国との関係の中で、アジアとの関係の中で日本という人間たちがどうあるべきかである。以前、台湾の山岳民族の人たちの記録や、歴史遺物の展示を見たことがある。とても興味深いものがあった。台湾に行ってみたい。そして台湾の田んぼも見てみたい。田圃を見ればもっと台湾が分かる気がする。

 

 - 石垣島