ブログ4000日

   

4000日まで連続継続できるかは、幸運が無ければ無理だろう。しかし、一応10年の次の目標でこの日を設定しておく。この文章の続きが無い時は、何か書けない事情が生じたときである。

今日見てみると4034日に到達してこれを書き継いでいる。ブログに予約機能というものがある。それで予約した4000日目の計算を間違えていたようだ。4000日とは即身成仏の為の修業の年月らしい。草の根、木の皮を食らい、生身の人間がミイラになる年月である。長いともいえるし短いともいえる。経過してみるとまさに幸運の記録である。この間健康と言える状態で過ごしてきた。生涯で一番体調がよく、安定した時期だったかもしれない。有難いことに、役割としての仕事を無事終わることができた。地域の役目、水彩人の18回まで、あしがら農の会は25年、4000日の間にやれるだけのことはやった。ブログにはマイナスとプラスがあったが、書くことを選んだ。継続してこの間の思考を記録した。考えてもやれないことも山ほどあった。能力不足であるが、努力不足ではないつもりである。読み返すと結果につながらなかったこともままあった。これは深く反省しなければならない。即身成仏は大日如来になるという事もあるらしいが、大した成長はない。成長というより、自分の中に徐々に入り込んだ日々だ。

これで一応は即身成仏したのだから、後はミイラとしてやらしてもらってもいいのだろう。私の場合は成仏といっても、仏になったのではない。ミイラという迷惑な物存在になったつもりである。物だから期待もされないだろう。これが良い。ミイラなのだかから反省はしない。残りの時間を、自分のやりたいことだけの時間として使いたい。いままでも好き勝手してきたように見えるが、それなりの配慮は残っていた。今度は70を目指す。「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」という事である。今のところ、心の欲する所に従うという事はだいぶできるようになったが、矩を超えてしまうことがままあった。矩とは、人の道である。人の道をまだわかってないから、ついつい道を外れている。人の道は難しい。勝手に生きるという事ではないのだろう。先日もある人と怒鳴り合ってしまった。ひどい思い込み違いで私が盗んだというのである。全くの誤解なのだ。濡れ衣である。冤罪である。しかし、怒鳴り返すのは人の道ではない。誤解を与えないように、李下に冠を正さずが人の道か。人の道には遠い。

私の絵が人の道に外れていなければいい。まさに心の欲するままに描こうとしてきた。心の欲するところを探すために、絵を描いてきたのだろう。その絵が矩を超えていなければ良しとする。自分の心の望むところは、なかなか厄介なものだ。それでも何が自分には大切なのかは、少しづつ見え始めている気がする。しかし、それが人の道に沿っているかとなるとだいぶ怪しい。私が良いと思う事が、社会一般の方向とはだいぶ違う。瑞穂の国の文化を大切にしたい。こんな私には当たり前と思える日本の方角が、社会的には逆方向になっている。田んぼは風前の灯火である。人の道はパンのみにあらず。と思うのだが、社会はお金以外の共通価値を失いかかっている。こうしたとき、人の道は勝手に生きればいいという事になるのだろうか。ここに歯がゆいところがある。自分勝手な道が人の矩を超えない。これが分かるのは終わってからのことだろう。

つぎは予約機能で5000日の日を計算して、その日を予約しておく。そうすると私がもうこのブログを書けない状態になっているとしても、その予約された日に記事だけはブログに掲載される。

 

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