小田原差別ジャンパーは何故10年も続いたか。
小田原市の生活保護課の職員が差別ジャンパーを作り、10年間着ていたという事が明らかになった。ジャンバー以外に様々グッズまであったようだ。この事件は私自身厳しく反省しなければならないところがある。今思い出してみると、このジャンパーを2度目撃している。そして、一度はこのジャンパーについて問題があるのではないかという相談を、ある職員からされたことさえもあった気がしてきたのだ。記憶がおぼろげで確かでないので、何とも言えないのだが、ともかく2度このジャンパーを着て出かけてゆくところに出会っている。このジャンパ―はその時は生活保護課の入口の洋服掛けにかかっていた。そして、確かにその文字も見たのだが、何が書いてあるのかはわからないかった。気付くべきだった。本当に恥ずかしいことで申し訳ない。この制服が職員の作業着なのだろうとぐらいにしか思わなかった。ケースワーカーの人がこのジャンパーを着て、受給者の所に向かうとは理解できなかった。自分の認識の甘さに愕然とする。申し訳ない。
気付かなかったことは私の罪で、言い訳はできない。まして私はその時に、受給者から訪問に来る職員に困っているという相談で出かけていたのだ。不正受給を疑われていた、精神障害がわずかにある人であった。その人に病院を紹介したり、診断書を用意したらどうかなどと話し合っていた。当時不正受給の件で小田原市役所では問題を抱えていたことは確かだ。結構暗い空気だった。職員に対して、厳しく不正受給を取り締まれという圧力が起きていたのだろう。世間全般にそういう空気は今も続いている。小田原市は市長名でこの件に対する反省とお詫びの見解をホームページに載せている。しかし、この文章を読んでも、このジャンパーを見逃した大半の人の問題。又気づいていた人がいたのだが、声を上げられなかった人たちの問題は見えてこない。社会の奥底にある深い問題には、まだ気付いていないようだ。あるいは気づかないふりをしているのかもしれない。
今回の事件は、小田原市民全体の責任だと考えなければならない。苦情が多数あると同時に、頑張れという意見も多数あるそうだ。市民全体に、生活保護受給者に対する差別意識があると考えたなければならない。そして、その差別意識の背景には日に日に重たくのしかかる階層社会が存在する。弱者に対する自己責任論である。頑張れない者に対して、自己責任を問う声である。精神障害を持っている友人も、自分を障碍者として位置づけ、障碍者年金を受けることが、どうしてもできなかった。そのことから起こる親族にまで及ぶ差別を心配していたのだと思う。親の因果が子にたたり、因果応報的な思考法から抜け出ていない社会。精神障害に対する誤解の壁も大きいのだろう。わたしが生まれた山梨藤垈の向昌院は精神障碍者の生活施設でもあった。私の小さなころに徐々に病院が出来て、寺院で預かるというような形は無くなっていった。それでも、時々ゆくところが見つからず、家族で来る人たちがいて、一緒に暮らしていたこともあった。そうした子供の頃の経験を考えても、ともかく社会の差別意識の重さを思わずにはいられない。
あのジャンパーに私が気付けなかったことは、感性の鈍さだった。情けなく恥ずかしいことだ。あのジャンパーを作った人と同罪だと思う。責めることは出来ない。その上で考えるとすれば、残念ながら小田原は差別意識の強い地域だという事である。しかも、その自覚が社会全体にない。よそ者としてこの地域に来て、根深い同族意識からくる排除を感じて暮らしてきた。市民全体にその自覚が乏しいことが、解決を困難にしている。その結果、今回の事件が単純な事故として処理されようとしている。迂闊な職員が、軽いノリで行った行為に過ぎないと指摘した市会議員がいた。軽いことと受け止めている。むしろ、小田原に存在する差別意識、階層意識、分断意識が、あのジャンパーの問題にある。10年間気付かなかった原因を自分のこととして受け止めなければ、何も改善されないだろう。この機会に心底反省すべきだ。また、小田原に根本的な差別意識があることを確認しなければならない。ジャンパーを辞めたところで、何も変わることはない。行き着くところは憲法の学習から始めることしかない。