政治と人工頭脳
政治に人工頭脳を取り入れたらどうだろうか。たぶん、アベ政治よりは私の主張する政治に近いものになる気がする。憲法というルールを入れて、それに従って政治を行うとすれば、人工頭脳の判断ならアベ政治はルール違反の連発となるだろう。何故憲法があるかと言えば、ルールがなければ独裁政治になるからである。居眠りして死刑になるのは誰でも嫌だろう。もちろん為政者にしてみれば独裁が一番やりやすい。しかし、それではその他の人間にはたまらない。あくびをしたからというだけで思想教育収容所に入れられることになる。ソクラテスは悪法も法なりと言って毒を飲んだらしいが、法律というルールに従う事は万民共通でなければならない。総理大臣だから、少々憲法を拡大解釈しても許されるという事はおかしい。また立法府が政治資金規制法をざる法のままにしていることも、憲法違反である。憲法に従うことが民主主義の大前提である。このまま解釈で広げてゆく手法は、いつの間にか民主主義が終わるという事になる。
人間はどんな難解なゲームでも、人工頭脳には勝てない。チェスではコンピューターの助けを借りながら、対戦をするらしい。それでも機械同士の戦いよりも面白いから、チェスというゲームが成り立っているのだろう。5目並べやオセロのゲームレベルでは機械の結論が明確過ぎて、専門家が登場する余地がない。今はまだ囲碁将棋では専門家がいるが、存在の意味は急速に変わるに違いない。コンピューターゲームでは機械に勝てない前提で満足しているらしい。政治においても、例えば災害支援にコンピューターを導入する。どういう緊急対策があり、どういう手順で行うかはコンピューターの判断の方が正しいに決まっている。少なくともテレビ電話で弁当の要求などコンピューターはしない。実は災害の場面だけではない。予算の立て方でも、税金の集め方でも人工頭脳の手助けは必要になっている。その方が透明性が高いし、公平になる。
それでは、機械に人間が支配されているようではないかと、怖ろしくなる。プロのゲーマーというものが居るが、そのプロは機械よりは弱い前提で存在が許されるという怪しげな立場ながら、1億円プレーヤーという事であるらしい。政治はゲーム以上にコンピューターで行う方が有能なのではないだろうか。少なくともコンピューターの出す結論を参考にやってもらえないだろうか。機械に支配されるのは確かに不愉快であるが、経済政策はアベ政権よりはましに思える。こんな発想はゆがんでいるように見えるかもしれないが、政治のルールナシは耐えかねる。その政治ゲームの勝利は平和な日本の暮らしである。どの道を進めば日本人が人殺しをしないで済むのかを、ぜひともコンピューターで探ってもらいたい。そんなことを考えてしまう不幸は、アベ政権の政治手法にある。総理大臣が口先だけで、説明責任があるなどと言いながら、甘利氏の説明を聞いたことがない。コンピューターなら、こういう嘘は許さないことだろう。
アベ政権はどうもレーガン大統領に学んでいるらしい。政策は発言しない。テーマだけを発言する手法。レーガン氏はマイナーな役者だったらしいが、大統領としての人気は高かった。具体的に待機児童をどんな手法で無くすなどとは決して言わない。子供を大切にするとだけ言う。どういう方法で、どういう政策で待機児童を減らすのかなどとは間違っても言わない。女性活躍社会を作るなどと大見えを切る。何の実質的政策はも述べない。地方創生などとだけは言うが、どうやって実現するのかは説明もない。3本の矢などと訳の分からないテーマは述べる。要するに口先政治だ。具体的な新規産業の創出は出来ない。出来なくても責任は問われないようになっている。アベノミクスの成果がこの国の隅々まで及ぶようにするなどと、耳当たりのよう言ことだけ口にする。具体的に発言した消費税は2度も政策の延期である。それでも「新しい判断」などと述べて失敗は決して認めない。