石垣島で描いた絵
大体、10号ぐらいの絵である。こうして並べてある。
石垣ではだいぶ絵を描いた。石垣の里地里山は素晴らしい。それは風景が素晴らしいというのではなく、石垣に暮らしがあるという事だ。石垣の夏の緑は、実に多彩で面白い。まだ石垣の島の緑が描けたわけではないが、どんどん描きたい気持ちが沸き上がる。特にパイナップル畑の色には驚く。へゴの苗作りをしている畑の色など、ここでしか見られない夏の色である。原野の緑の中にも花が咲き乱れている。描いても描いても飽きることのない里山風景である。西表が原始の自然であるとすれば石垣は人間とのかかわりの表れた風景である。山もあり、川もあり、海もあるのだが、その人間とのかかわりの岸辺が面白い。小浜島の風景も何枚かある。小浜島の田んぼは丁度稲刈りの時期であった。西表の田んぼよりみのりが豊かだった。ただ、畔草を刈らないのは同じで、これはカメムシが田んぼに入らないためのものなのであろうか。
オランダの重い空気に育ったゴッホが、アルルのまばゆい光に目覚めたように、石垣の光の輝きは、私にも眩暈がするように熱帯のような色彩のゆらめきがある。絵は完成したわけではないが、石垣の絵のとっかかりは出来たような気がしている。それは緑の色が私の出してきたやり方では出ないという事だ。出ないという事がわかるのだから、出るまで工夫をしてみるしかない。それはどうも、ビリジャンとセルレアンブルーを混ぜて、かなり水を多くして塗ると近い色が出る。ビリジャンとコバルトイエローを混ぜてみても近い色は出る。それでは、緑にある力というか、濃度が不足する。それでどうするかだ。白を混ぜてみたり、いろいろやってみたが、できないでいる。長年染みついた、中部日本の色の出し方を乗り越えなければならない。
色というものは、実は置き換えである。そこに草をちぎって置いてみて同じであったとしても、その草の色が表現された訳ではない。見えている色に合わせようとして色を探している訳ではない。見えている入りを画面に取り入れるという事は、新しい色の組み合わせを見つけるという事だ。形においてもそうである。絵は対象から触発され、絵というものを描くことで自分の形の考えを探っている。4枚を27日に研究会に持っていた。ムーブマンのことを松波さんと話せたことが何かになった。何か共通のものを風景に見つけようとしている。と同時にそれは違うものでもあるようだ。風景の動きが見えなければ、描くことは出来るわけがない。問題はその動きをどういうものと考えるかだ。風景の世界を探る行為が自分にとって興味深い。だから見えて物を描くとか、良く見て描くというのは、あくまで自分の観念に置き換えているという事になる。私の感じている八重山という感触が、あの八重山の唄から感じる世界観が絵に表れるかどうかなのだ。自分というものが石垣の世界観に対してどのように反応しているかに興味を持っている。実はそういう事とムーブマンを関連して考えている。
石垣も、西表も、小浜島も農業をする心がある。南の島の農業の形に表れている、何ものかを思考している。多良間田跡にある壮絶な感傷を呼ぶものは、南の強い光のせいだけではない。ここまでして、危険な海を小舟で渡ったとしても田んぼを作ろうとした人たちの、強い意思を考えるからだ。そういうものをただ風景を描く中で、私絵画の意図として描きたいのだ。そこまで表現できているのか、自分にもわからないことだ。分からないが、それをやろうとして描くことの中にやりがいを感じる。楽しいのだ。出来ない、描けない、という事はあるが、その四苦八苦の苦しみが絵を描く醍醐味のようだ。だから今は人にどう見えるかなどほとんど意識から消えた。そういう里山の日本人の暮らしを絵にしてみたいと思う。八重山では風景が正面から堂々と存在している。今の内である。