ヒットラー登場のこと

   

ヨーロッパのテレビ番組ではヒットラーの登場について、深く良く分析をしたものが放映されている。日本のテレビで日本の軍国主義の登場の歴史がめったに放送されないことと対照的である。近現代史の充実度の違いがあるのかもしれない。深い反省があるかどうかが違いなのだろう。日本人は敗戦すら反省をしない。原発事故も反省をしない。忘れるのを待つだけである。先日見たBBCのものだったとおもうのだが、ヒットラーの登場と当時の経済の状況をだぶらせて分析していたものが、とても興味深かった。ヒットラーがワイマール憲法という当時の時代状況の中では、民主的な憲法の中で、選挙で選ばれる。しかし、世界的な経済恐慌の中で、ヒットラーの経済政策は当初失敗に終わり、ドイツ人全体をさらなる生活困窮に進んでゆく。そこでヒットラーは国民の目を敵の存在に向けさせ、経済の失敗を乗り切る意図で、ユダヤ人を差別を強化してゆく。ドイツ民族優生政策をとることになる。ユダヤ人を諸悪の根源として、生活困窮の不満のはけ口を作ろうとする。

しかし、ドイツ経済が好転する。これはドイツの経済政策が良かったからではなく、世界経済の好景気に救われるのだ。この分析がなかなか深かった。そこで、ヒットラーは軍備の強化を推進する。そして強大な軍事力を背景に、フランス領であったライン地域を奪還する。国威発揚の国境紛争である。ナンシーに留学していたので、ドイツ国境地域の空気は少し感じられる。領土を奪還したヒットラーに対して国民は熱狂し始める。ますます、野望を高め、世界制覇まで考えるようになる。経済の好不況が独裁政権を生むという姿。日本においても、アベ政権が支持をされているのは、不景気の不安からであろう。原発事故以来の不安感もある。さらなる不景気が来ては困るので、保守的なものにしがみ付きたい気分から、過去の成功体験に戻ろうとする。アメリカとの軍事同盟を強化し、TPPを結ぶ。TPPなど日本にとって何の良いものもないにもかかわらず、アメリカの軍事同盟にしがみ付く代償として、TPPを容認してしまう。

今、国境問題を深刻化させ、中国を仮想敵国にする姿は、ユダヤ人差別を開始したナチス政権と似たようなものを感じる。悪いのは中国だからという、外敵を作る事にアベ政権は必死である。この背景にあるものは日本の経済の苦境だ。結局のところ日本人のレベルに、日本のレベルに日本の経済は適合するだけなのだ。戦後ひたすら、わき目も降らず、必死に暮らしを立てようとしてきた状況は終わった。日本人と日本の経済的衰退による企業の苦境を、アベ政権は企業優遇政治で乗り切れると躍起となっている。国民も今のところそこに期待しているようだ。期待している割に、自分の暮らしが良くならない。それを個人の、農業で言えば国際競争力のない農業をしていてはだめだという事にされている。その為に国内には格差が拡大して、不満が広がり始めている。その不満を外敵に向けさせようとして、中国の覇権主義をことさら強調している。もちろん中国がまともだとは思わない。中国の国内は破たん寸前である。その破たんから逃れようと、独裁的政治が覆い始めている。

日中互いに問題を抱えている。結局のところ世界中で格差の拡大である。両国民の不満は徐々に高まっている。これを抑え込むには、日中両政府ともに敵を作る必要があるのだ。今こそ国内の格差を解消することに全力を挙げるべきだ。日本自身が安定することこそ、戦争回避の唯一の道である。それくらい危うい状況に日本は進み始めている。しかし、楽観かもしれないがアベ政権はそうした日本の保守の塊の最後のあがきとも見えてきた。中曽根氏や石原慎太郎世代のような、狂信的な日本主義信奉者は老齢化している。安倍人形に託されたものは、最後の叫びのようなものだ。その次の特に目立つ右翼層の女性議員などは、老人たちのお飾りのような泡のように軽く見える。旧勢力が消えれば、すぐに日本主義を捨てると見て置いて間違いがない。日本は敗戦から学ばなければならない。

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