菊池桃子さんのPTA自由加入発言
菊池桃子さん戸板女子大の客員教授が、PTAの自由加入を主張した。この発言は嫌われる可能性が高い。よくぞ微妙なことを発言してくれた。アベ人形もびっくりだろう。自治会自由加入論と同じだ。正論ではある。一部の人たちに共感を呼ぶだろうが、我慢してPTAを支えている人には腹立たしいことにちがいない。どちらかと言えば日本社会の保守層が我慢して支えている組織である。大半の人が我慢して、努力して、無理をして、こうした役目を引き受けている社会の現状。正論として自由加盟というけれど、じゃあPTAはどうなるの、という反感が湧いて来る。PTAも子供会に入らない家庭もある。子供が差別される恐れはないのか。自治会に入らないという事で、差別的な扱いになる事例はいくらでもある。お前がそういう非協力なら、きちっと見返りは付けてやるという反応である。
その昔、戸板女子大の美術部の指導というのを何度か頼まれて出かけたことがある。絵の仲間に羨まれたのだが、ササムラなら問題を起こすわけがないという事が理由だったので自慢にはならない。予想の通りうらやまれるようなことは何もなかった。菊池桃子さんが生徒だったという事もそのころ聞いて知っていた。その菊池さんがアベ政府の肝いりで、「1億総活躍国民会議」の委員になった。あまりいい気持ではなかった。選挙に出る準備位に見ていた。他の委員より発言が注目を浴びる。今回、PTA強制加入が一般化していることに異論を述べた。この発言は評価できる。PTAはアメリカが民主国日本の為に作った制度だ。全く根付かず形骸化した。精神としては学校というものは、学びたいという人間が作り、そこに教師を呼ぶというアメリカ初期の精神が残っている。そのためにPTAというものは教育に大きな影響を持っのが本来である。PTAの役割の見直しに進んでほしい。形式だけのものに強制加入は無意味だ。
アメリカが良かれと考え民主的にという事で、押し付けで作ったものは日本の伝統文化に当然そぐわない。まあ、残念ながら憲法にもそういう批判があるのは承知している。封建的社会の打破が目的だった。子供会、青年団、婦人会、生活改善クラブ、そして自治会。どれも70年が経過してゆがみが目立つ。少しづつ形骸化した70年の流れである。一度できたものを改善できない前例主義というものが、地域社会の特徴でないか。お上社会。出る杭を敲く社会。今回のPTA問題で言えば、子供を持つ母親が会社勤めをしていれば、到底PTA活動に参加できるわけがない。それでも強制的に役員が持ち回りだったりする。個人が自立している社会なら、自分の意見を明確にできるが、日本のように顔色社会では、互いの内心を慮って、自由な発言を出来ないようになる。何度か書いたが、自治会の強制加入問題と同じだろう。自治会に入った方が良いが、その負担が嫌だという人も居る。そこに第3の道がないと、窮屈な嫌な社会になるだけだ。
自治会でもPTAでもその役割をまず見直すべきだ。そして前例主義を一度取り払って、本当に必要な活動を再検討する。行政は自分たちの仕事を減らしたい一心で、市民参加を呼びかける。小田原市の市民参加には行政の役割が示されていない。市民の役割ばかり強調されている。行政は大したことができないという形を作ろうとしているように読める。私が市民委員だった時に、議会、行政、市民のそれぞれの役割を明確にするのが大前提で、その上で市民が行う範囲を示さなければならないという事を再三主張した。しかし、行政の役割については全く無視された。市民の役割の協調に市民が利用されたようなものだった。こうした形式の強調では何も変わらない。PTAに出ることができない。自治会に出ることができない。そうした人とがいたとしても、問題がない仕組みを模索すべきだ。