ケリー国務長官の原爆資料館訪問
アメリカ人には驚くほど、良い資質を感じることがある。今回G7で広島を訪れ、どのような発言をするのか注目されたケリー国務長官。原爆資料館訪問を渋っているという報道もあった。しかし、ケリー国務長官の広島の原爆資料館訪問の際の、発言には目を覚まされるところがあった。こうした率直さがアメリカ人の良さだと思う。実に純粋で、心からの反応である。原爆投下について、アメリカ政府の謝罪がどうしても必要だとは思わない。もちろん正義を主張されても困るが、戦争というものはそういう悲惨なものだと思うからだ。しかし、アメリカという国が唯一原爆を使用した国であるという重荷は背負わなければならない。そのことを弁解したところで事実は変わらない。それは日本がアジアの諸国に侵略戦争を行ったこととを背負って行かなければならないことと同様のことであろう。忘れることも、ごまかすこともできない。正面から向き合い、未来志向でどのような行動ができるかであろう。
オバマ大統領にも、核廃絶を宣言した大統領として、ぜひとも広島の原爆投下地点に立ってもらいたい。そして大統領を引退した後も、核廃絶に生きてもらいたい。ケリー国務長官は素晴らしい文章を、資料館の記帳の際残した。原爆の悲惨さに衝撃を受け、誰もが資料館に来るべきだと書いた。オバマ大統領が広島に来ることも明確に希望した。原爆に限らず、戦争という過ちは2度と繰り返してはならないことだ。日本が核武装を匂わせて、憲法上は核武装も許されているなどとする発言は、全く日本の置かれた立場を理解できないが故の発言である。日本が国際社会で尊敬されるためには、非武装国家として、核廃絶に向って発言し、行動することであろう。そうした努力を不断に行う事こそ、平和憲法の精神である。この立脚点を明確にする事こそ日本が国際社会で評価されるところである。この憲法が理想主義的であり、現実の世界情勢の中で、どれほど効果があるかは不明である。しかし、この道以外に人類の滅亡を逃れる道はない。
オバマ大統領がプラハで核廃絶への希望を宣言した。しかし、現実の世界情勢は核保有国が増えてしまっている。しかも、テロ国家ともいえる北朝鮮が保有した現実がある。この状況において、日本が核武装して何になるというのだろうか。抑止力どころか、原爆攻撃に口実を与える恐れが強い。日本が落とす前に落とすという事になりかねない。アメリカではトランプ現象で見られるように、日本と韓国の核武装を容認するという意見が出ている。この流れは、今のことろようやく踏みとどまっいる。世界中の核廃絶の努力を全く理解しない、愚かな発想である。持ちたいという国の権利を止められないというのであれば、イランの核武装も、北朝鮮の核武装も、イスラム国の核武装も容認されることになる。今かろうじて世界が防波堤としているのは、これ以上核武装国を増やさず、徐々に核武装国も、核保有を減らしてゆこうという思想である。これ以上核兵器が拡散すれば、人類の危機だという認識である。アメリカが最も原爆に狙われる国に違いないのだ。
同盟国と今は言われている、日本も、韓国もいつアメリカと敵対するかわからない。武力によって危ういバランスの中で保たれる、幻想の平和状態は必ず崩壊が待っている。日に日に悪化する世界情勢の中でも、核廃絶に向けて努力すること以外に、平和の道はないことを肝に銘じなければならない。武力を持たない勇気こそ日本国憲法の道である。テロと核爆弾が結びついた時に、世界崩壊の道に進むことになる。ケリー国務長官はそのことを、広島訪問に際して、人間として発言した。アメリカの国務長官という立場ではなく人間として、原爆というものに直面した。日本の政治家にはない、見事な姿勢である。日本の方角は、核爆弾を持たないという世界中の勇気を集めて、原爆保有国に削減の圧力をかけることだ。それが日本の役割ではなかろうか。