東北豪雨で放射能汚染袋が流出
東京電力福島第一原発で17日18日の豪雨で、排水溝の水が、堰(せき)を越えて外洋に流出した。暫定的な対策を講じた四月以降、確認された流出が八回目となった。これが安倍氏の世界に示した完全にコントロールされた現実である。積んであった、放射能汚染した草を刈り取り詰め込んであった袋も流出した。全くずさんなことである。と同時にどうせ無駄なことだというあきらめの辛い気持ちになる。小田原では汚染された植物残渣は畑の隅に積んでおけという指示であった。埋めるでもなくそこから移動せず積んでおくようにという指示であった。現在、姿かたちが消えうせた。それは、東北関東一円の自然界で起きていることだ。たまたま汚染下草を刈り取って集めて置いておくなど、そもそも無駄な努力なのだ。いったん環境にばらまかれた放射能を集めて処理するなどということは、不可能なことだ。不可能なことをもっともらしくやっているのは、ポーズをとっているのだ。完全にコントロールできているという真っ赤なウソを塗り固めるためだ。
小田原ではもう測定しても放射能はよほどのことでなければ、作物には現れなくなっている。4年半前予測したような展開ではなかった。チェルノブイリのような低湿地の水の停滞するところとは、全く違ったことになった。放射能によるがんの発生率はは疫学的には増加を始めているのだろうか。今のところ子供の甲状腺がんについては一部で増加の傾向も見られるとされるが、全体では統計的にみれば変化はないということのようだが、正直いろいろの情報があって、よく分からなくなる。チェルノブイリでも起きたことだし、福島でも起きないはずがない。特に子供たちの問題である。しかし、小田原でも影響があるというような話になれば、原爆実験の影響との違いもあり、小田原の子供に影響はなかったレベルと考えている。原発は割高なうえにリスクの高い発電方法なのだから、早く撤退するほかない。と同時に放射能汚染は科学的に判断することが重要だ。
海に流れ出ているのだ。海に流し捨てて完全にコントロールできたのだろう。どうせ、集めても処理ができない。世界中で放射性廃棄物を海に流し捨てているのだ。たぶん膨大な自然放射能も海に流れ出るのであろう。核廃棄物の処理は方法がないのだ。あの黒いビニール袋はフレコンバックというもので、そう長持ちするものではない。日光にさらされていると案外に早く劣化する。5年もたてばボロボロで簡単に破ける強度になっているに違いない。屋内にきちっと積み上げて置けば、20年ぐらいは大丈夫だろうが。あんなものを持ってきてほしくないというのはどこでも同じことだろう。つらいことだ。しかし、どこかに持ってゆかなければ、川の流れに乗って海に行くしかない。それでは、総理大臣の真っ赤なウソが空を染める。原発の発電所付近にすべてを集めるほかないと考える。それが原発を認めた、自治体の責任だ。
それでも原発再稼働である。原発の地元自治体では、何かあれば責任を取るという気持ちで再稼働の承認を考えてもらいたい。故郷を住めなくする可能性を認めてしまう自治体の愚かしさ。その動機や本音はどこにあるのだろう。東芝がつぶれたら困るからなのか。政府のとった電源ロードマップの誤りを認めたくないからなのか。官僚が乗り掛かった舟から降りれないというのはわかる。国際競争力を考えれば、早く原発から降りた国が有利になる。政治家が日本壊しをやっていてはだめだろう。国破れて山河在り、といかないのが原子力事故である。原子力汚染で国が敗れれば、日本という山河は人の住めない場所になる。そのリスクがわずかでもあるなら、やめるしかないのが原子力だ。どこの角度から考えても、原発にしがみつく理由がわからない。分からないから怖くなる。やはり、原爆による抑止力を願っているからなのだろうか。