自治会不要論
朝日新聞で自治会フォーラムが行われている。自治会は厄介なことになっている。役員の負担は大変なことになっている。その割に役割は形式に終始していて、仕事に達成感がない。自治会は要らないと言う考えが強まっている。よく言われるが、一番は防災問題である。最近は洪水、竜巻、土砂災害と自然災害は他人事とは言えない気象である。明日にも1000ミリの雨があるかもしれない。災害が起きてしまってから、行政の避難指示がどうだったのかというようなことがいつも言われる。小田原の自治会では、災害時の責任をとれないから、自治会長を引き受けられないというので、次の自治会長が見つけられないという自治会の話を聞いた。その自治会長を断った方は、本気で自治会長の役割を考えたということだろう。私も自治会長の間中もし災害が起きたらどうしたらいいのだろうか、不安な日々だった。今も防災リーダーだから責任がない訳ではないが、自治会長の時よりはだいぶ気が楽だ。
私の住んでいる久野でも、避難勧告は最近も出た。避難する人はいない。避難指示が出ても非難する家族は数家族であった。そういうことが繰り返されている。避難指示はどういうものかということを、小田原市の人と話したことがあるが、なんと非難しなければいけないという認識すらなかった。あくまで自主判断だという主張をされていた。こうした状況の中で防災訓練だけは行われる。私も当然出なければならない。しかし、この防災訓練が、舟原地区に暮らす者にとっては全く形式的なもので、本当の災害時には全く違うことになる。つまり、久野小学校に避難するのだが、舟原が危ないという状況で、何故小学校に避難できるのだろう。避難の途中で災害にあう可能性が極めて高い。にもかかわらず、昔からそういうことになっているというので、さらに奥の和留沢集落からでも建前としては、歩いて1時間以上も避難訓練をすることになっている。もちろん現実には車で役員が小学校に集まるということになる。
そのほか自治会役員には、様々な動員がかけられる。何かの講演とか、表彰のさくらの役割のようなものだ。この集まりにはこのくらいの人を集めたいという希望が出て、各自治会に参加の要請が来る。大勢集まれば役員や行政職員の顔が立つちうような持ちつ持たれつ。私のようなものでも、地域の役割でもあるので、すべて我慢して出た。我慢して出ても得るものはなかった。近く運動会というものもある。私にも競技が割り振られた。早朝から、テントの設営等で出なくてはならない。秋の稲刈りシーズンに困る。運動会はやめた方が良いという声も、毎年聞く。自治会にはお近所付き合いとしての、弱者保護ということもある。何かあった時に、一人暮らしのお年寄りに気づいてあげなくてはならない。ともかく、本気で考えればやるべきことが山のように、諸々のことがある。自治会役員に会社に勤務したぐらいの感じだ。そうした活動を不要だという人が出始めている中で、この大変な仕事量をこなさなければならない。
ごみ置き場の管理が自治会の役割になっている。だから、自治会加盟していないと、ごみ置き場にごみを出していいのかどうかが、もめ事になる。市民税を払っているのだから、ごみを出す権利はあるという考えもあれば、ごみ置き場は自治会管理なのだから、そこには出すことは出来ないという考えもある。いずれごみ処理が、自治会加入促進の最後の切り札になっている。舟原でもこの問題で深刻なトラブルが起きた。結局、今も訳の分からない状態が続いている。地域というものは、様々な人がいる。考えも多様だ。一筋縄にはいかない。すっきりしないものを、何とか受け入れなければ成り立たない。