篆刻という石の彫刻

   

篆刻をしている場所。硯や、印泥なども置いてある。石は玉石合わせて400はある。

若い頃から篆刻をやっている。なかなかの楽しみである。中学校で教えていたころ授業で篆刻を課題にしていた。その頃は自分でもよく彫った。今は気が向くと楽しみで彫るくらいだ。篆刻はなかなか面白いものだ。中国では獅子や龍を石の頭にした篆刻の作品がよく彫られている。大体はやりすぎで過剰な感じがしてまずい。石のものはいつまでも残るから、古い石印も幾らでもある。側面に彫った人の名前が、流旺刻とか刻まれていたりする。どういう人だったのだろうかと思うが、彫られた意味まで考えてしまう。縁起物で、印が押されるというようなこともあるようだ。日本では篆刻の公募展のようなものもある。日展にも篆刻部門というものがあって、審査での割り振り問題で話題になったことがある。書を書くとその脇にどうしても判を押すことになる。脇ならまだよいが、上部もあれば、場所がなくなれば字の上に押されることすらある。中国物であたり一面印影で埋まるっているものがある。

水彩人の判も篆刻のものだ。誰が彫ったのかは知らないが、芋版のような感じのものだ。私ならもうちょっと風流なものにしてしまうと思うが、この芋版というか、ゴム印のような感じが水彩人を表しているのかもしれないと思い、一応使っている。判というものにについては誤解があって、どうもこの判でなければならないと思い込んでいる人がいる。登記して無い印鑑はどれでも同じことだ。私が毎日変えたところで何の問題もない。但し実印は印鑑登録されている。登記をしようにも、水彩人は法人ではないから登記もできない。登記しない印鑑なのだから、割り箸の後ろでも判だと強弁すれば、判である。変化をしない材質ということもある。また、印影からその実態を想像するということになるから、芋版のような水彩人だなということで、それはそれで悪くはない。変に凝っているよりはだいぶましかもしれない。

篆刻が面白いのは、石の材質の味わい、頭の彫刻を含めた全体の形態、そして肝心の印影。石は田黄石が王者である。黄色い半透明の石である。プラステックとどこが違うか程度のことしか思わない。次に話題になるのが、鶏血石が良いなどと言って、真っ赤な血が飛び散ったような石が尊ばれたりするが、少しもよい味わいを感じない。なぜあんな妙な石が何十万円もするのか、不思議なばかりである。造形を重んずるのであれば、田黄石は確かに良いのだが、妙な透明感が形を壊すような気もする。安い石でも青田石のようなもので十分である。大切なことは彫りやすく、柔らかすぎず、思うように作れるものだ。石といっても篆刻石は木よりも彫りやすい。細かい仕事から、大きな割り出しのような粗い仕事も自由に行える。寿山石と言われるものがよく売られているが、1本150円ぐらいで十分なものがある。

それでも自分の作品を作るとなると、石は選びたくなる。最近菜の花透石というものを6使ったので。これで作る予定である。鶏を頭にしたものを作りたいと思うと、形や色、大きさを探す。それで沢山石がある。これだという石に出会う必要がある。田んぼの実りを頭に作ろうなどとも思っている。この場合黒い石が良いだろうかと思っているが、まだ決まらない。犬のものも一つ作りたい。猫も当然必要である。全部で6つ作って、いつかは笹村出農鶏園と繋がるものにしたいなど考えているが、そろいの石がよいのか、6つそれぞれが良いのかもまだ決めていない。笹は雄鶏、村は雌鶏と雛、出は犬 農は田んぼ、鶏は猫、園は樹木、ぐらいかと考えてデッサンはしている。中国では金鉱堀のように、良い印材を探しあてるために、生涯を費やしてしまう人がいるらしい。ばかばかしいやら、うらやましいやら、道楽というものはそこまでやりつくすから面白いのだろう。

 - 水彩画