何故女子サッカーは強いのか。
女子サッカーの決勝戦アメリカと日本戦では、立ち上がり立て続けに4点を取られた。その理由は澤選手を入れなかったからではなかったか。こういう緊張感の強い試合では、選手が力を出すことは極めて難しい。何といってもベテランの頼りがいのある澤選手を立ち上がりから入れなければだめではないか。一方アメリカは立ち上がりにすべてをかけてきた。試合が後半に入れば、日本選手の体力の強さと精神力の強さが、生きてくる。前半ドローなら、日本が勝てるとみていた。しかし、さすがにアメリカの作戦は一枚上だった。すべてを立ち上がりにかけたのだ。このときに、澤選手がいれば、何とか2点ぐらいに抑えられたはずだ。これなら後半に追いつく希望はあったかもしれない。澤選手が90分やれる体力がなくなったということが、日本チームの限界であったのかもしれない。今度は、澤選手が監督になってぜひとも東京オリンピックに挑戦してもらいたいものだ。
なでしこジャパンと呼ばれる女子サッカーは、ワールドカップで準優勝を成し遂げた。日本のボールゲームでは、格別な強さである。その強さは、生き方としてサッカーにかけている強さだ。女子のソフトボールとサッカーが何と言っても強い。しかも、男子チームはボールゲームで強いものはない中でである。このことを考えてみる必要がある。男子サッカーはもちろん、野球もメダルが取れない。女子チームが強いのはスポーツの精神を持っているからだ。テレビの解説などでは、盛んに女子のチームのプロスポーツ化を主張しているが、いったい何を意図してそういうバカなことしか考えつかないのだろうか。日本の報道陣の低下が目立つ。スポーツをエンターテイメント化して、テレビが盛り上がればうれしいぐらいの感覚に陥っているのではないか。全くスポーツというものの大切な意味を理解できない。男子サッカーがなぜ弱いのかを、考えてみれば一目瞭然にわかることだ。お金のためにやっている人が多いいからである。野球がなぜ弱いのか。お金のためにやっている人が多いいからである。
そうしたことを悪いことだとまでは言わないが、国家がスポーツでの金儲けを奨励するようなことはよくない。かつて東ドイツのやったようなことになる。ドーピングしてまで勝てばいいという考えに至るのだ。国家とスポーツの勝利が重なるようなことは、あってはならない。オリンピックは参加することに意義があると考えた、クーベルタンのオリンピック精神は完全に失われた。最近主張すら聞いたことがない。サッカーは勝つために外国人監督を雇っている。そして監督の名前を冠する、ザックジャパンなど名乗っていた。なでしこジャパンは公募してつけられた名前だ。男子チームはサムライジャパンと呼ばれたこともあったが、侍が弱いというのもなじまなかったので消えたのか。サッカーと野球はプロスポーツとしては成功している。しかし、そのことによって、世界レベルでは弱いわけだ。
スポーツは人間を極めるために行うものだろう。お金を稼ぐためにやるのもいけないとは言わないが、それだけではつまらない。男子サッカーの弱さはそこにある。プロスポーツになることで、大切なはずの、スポーツによって人間を極めるという、人間修業がゆがめられる。男子のサッカー強豪高校生チームの、韓国での集団万引きを見ればよくわかることだ。倫理観のない人間をプロスポーツが育てているのが現実である。とくに、プロになれなかった選手の人間としての堕落など、目に余るものがある。女子のサッカー選手は、お金になるなどということではなく、サッカーが好きで極めようという気持ちがあふれている。アメリカのサッカーチームは確かにプロサッカーの道を作り始めているようだ。そこにはアメリカの文化というものが背景にある。付け焼刃でプロ化することを目標にすることはまちがいである。