弱者と地場・旬・自給
地場・旬・自給の社会では、弱者の救済など出来ないのではないか。こ言う意見がありました。江戸時代には弱者はどうしたのかという事も合わせて意見がありました。その事を考える前に、地場・旬・自給の思想はあくまで緊急避難の方法として提案しているものです。社会のすべての問題が、地場・旬・自給になれば解決する等とは全く考えていません。世界の方角はこのまま経済競争が激化して、能力主義社会が先鋭化して行くに違いないだろうと想像しています。そして、格差社会は次第に顕著になるでしょう。その事は残念ながら、止める事はもうできないだろうと考えています。その中で自給に興味をもった少数の人間が、人間らしく生きるための手段として、地場・旬・自給を提案しています。ですから、地場・旬・自給は社会全体の解決法の提案ではないのです。確か、これでは農業全体の問題はどうにもならないだろうという意見も先日ありました。その通りです。地場・旬・自給で社会の問題全体が、解決出来る訳がないです。
社会全体の方向が、狂い始めています。その事に抵抗することすら多分できません。フクシマ原発事故後その思いが強まっています。繰り返しになりますが、地場・旬・自給は社会問題の解決策ではなく、自分個人が人間らしく生きるための方法です。振り返れば、70年代がその分かれ道だった気がします。あの時代に、出来なかった事はその後困難さを増しているばかりです。それでも、地場・旬・自給が社会的な意味で無意味とは考えていません。例えば、コッコ牧場の活動は地場・旬・自給の路上生活者の自立活動です。今も続いております。成功しているとは言えませんが、それなりの役割はあります。但し、大きな社会矛盾が存在する中、理想とした展開はできませんでした。路上生活の方にも様々な方がいます。コッコ牧場の様な場を活かして、再起された方もかなりおります。自立される人がいた事は成果なのですが、同時に取り残されてゆく人は何らかの障碍をもたれれている場合増えています。年齢も老齢化してきました。
弱者に関してどうでもいいとは思いませんが、地場・旬・自給は社会救済策の提案ではないということです。あくまで、普通の人の緊急避難の生き方の問題です。農業問題の解決の提案でもありません。それでも、いくらかの期待はしています。この点で、気づく人は気づくでしょう。農業では、より能力主義が強まり、企業的農業が個別的農家を淘汰して行く事でしょう。しかし、自給的農家を完全に消し去ることはできません。経営と関係がないから、勝手に存在します。伝統工芸の職人さんは生計が立たなくなっています。しかし、様々な保護策を受けて、何とか生き延びています。伝統農業も同じ道をたどる事でしょう。自給的農家が伝統的農家として、日本の文化を受け継ぐ事になるはずです。日本人が日本人であるための、根本が稲作農業の中にあるからです。それは日本の象徴である、天皇家の暮らしに表われています。
自給的グループで農業を行うと、能力差や各人の特徴の違いというものは、より強く出てきます。熱心に頑張る人もいれば、一見嫌々やっているのかというように見える人も現れます。みんなで共同する稲作農業の良い所は、大抵の人に役割があるものです。田んぼの周りで遊んでいる子供にも、遊んでいるという役割があると岩越さんは言われました。確かにそいうもので、さあがんばるぞという気持ちで元気が出て、支え合いで生まれます。一人でやれない人はみんなでやる。一人でやれる人はみんなの為にやる。そうして助け合う事で、人間は力を発揮するものです。このあたりに弱者に対する対応のヒントはあるのかもしれませんが、弱者の問題は、地場・旬・自給では直接的には考えてはいません。江戸時代の協働社会とはそういうものでした。地域に張り付いて暮らすという事は、その場の一代の能力主義など、大した意味がないのです。江戸の農村の弱者救済につてはまたあらためて書きたいと思います。