悪意のあるコメントの増加

   

携帯端末のスマートフォンとタブレットを使い、インターネットを通じてブログやツイッターなどへ投稿した人の4人に1人が、他人や企業の悪口などの「悪意のある投稿」をした経験のあることが17日、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)のネット利用者の意識調査で分かった。

世論調査では、イスラム国の殺害事件後安倍政権は評価が8%も上がったと言う。事件への対応も良かったとする人が多いそうだ。安倍政権はヨルダンやアメリカにお願いはしたようだが、何か行動をしたという事はなかったと見える。政権の無策の対応が評価されると言うのは、例の翼賛体制構築ということかもしれない。社会不安があおられ広がったという事だろう。コメントも悪口としか思えないようなものが増えてきた。本山さんと言う方のコメントは、良くある批判型のコメントの代表例だと思うので、何故こんなコメントを書きくなるのかを考えてみる。青色はコメント全文をコピーしたものです。☆印で始まる黒色が私の分析です。

誰かが頑張っているからこそ・・・ (本山敦)2015-02-14 10:09:30

おっしゃることが矛盾に満ちていて、とても納得できません。

☆まず、私が競争を否定するもので、自給生活はぐうたらで暮らせる。とブログに書いていると考えたらしい。競争は自己新を目指せば良いと書いている。自給生活をしてみるには、ぐうたらでは不可能であるぐらい、想像力を働かせれば分かる所と思うのだが。そういう想像は働かせないようだ。矛盾に満ちていると書いてあるが、矛盾と言うのは、文章の中に矛盾があると言うより、世間の常識と私の書いていることが矛盾していると書きたかったようだ。それは矛盾ではなく意見が違うと言う事だろう。悪意のあるコメントをわざわざ書きこむ人と言うものは、思い込みで読んでしまう。出来れば、わざわざ書くのだから、自分が言いたい事だけでなく、ブログ全体を理解する必要がある。それは無理な希望かもしれないが。

空き家に住めばいい。古着を着ればいい。中古の農機具を使えばいい。と、おっしゃいますが、誰かが頑張って働き、お金を貯めて新築の家を買い、新品の洋服を買い、新しい農機具を買うから、そのあとで空き家や、古着や中古の農機具が出てくるのです。しかし、いつか空き家は朽ち、古着はぼろになり、中古の農機具は使用不能になります。ですから、誰かが新品を次々と買わなければ、別の人が笹村さんのような生き方を未来永劫続けることはできないはずです。違いますか?

☆ここがこの方の主張のようです。そういう経済の回り方の世の中で困ると言うのが私の長年書いている主張な訳です。古着は流行を意図的に作り出し、その変化で捨てられている物です。流行を無視して、貰ってあげれば有効です。農機具も同様です。買い取った機械が何処かの国で売られています。国内販売をすると、新機種が売れないので、メーカーは抑制している。農機具屋のセールスに騙されるのです。友人のヤンマーに勤めていた人は、年1億円がセールスのノルマで、農家を騙さなければ、そんなに売れないとして会社を辞めました。消費を美徳とする間違った考え方をまず蔓延させたわけです。所費が増えれば、GNPが増えると言う意味がおかしいのです。先日読んだ農業企業の良い事例では、トラックタ―を毎年買い替えるそうです。壊れるリスクが減らせるというのです。多分補助金を使えばそういう事が出来るのでしょう。それの方が日本経済にいいのだそうです。

新築家屋は政府と、建築業界の思惑で、作られ続けられます。これも将来の経済破たんの要因になると考えています。誰も家等建てないで、今ある家を直し続ける事です。人口減少社会ではそれが可能です。本来の家は5世代200年ぐらいは十分使えるものです。建てては壊すのは、業界の戦略だと考えています。自給生活では結で家を建てる事になるでしょう。服は何世代も受け継ぎ、交換して着る事になる。農機具は最低限の物になり、化石燃料を使う事も最小限になる。そういう経済もあり得ます。しかし、そう成る前に人類は滅びの道を歩みそうです。競争を続け、どん詰まりまで行く事でしょう。せめて巻き込まれないために、自給的な暮らしを不二着地点として、提案しています。空論ではなく実際の暮らしの話です。

私もそうですが、笹村さんも服装に無頓着なのでしょう。私はそのことでいつも妻に叱責されます。
しかし、世の中、服装に無頓着な人ばかりではありません。
逆に服装は大事だと言う人の方が多数派です。
企業でも役所でも学校でも、服装を厳しく指導します。
服装でその人の精神性、考え方、性格、気配りなどがわかると言います。
人と会うとき、自分の身なりに気をかけていないようだったら、会う人を軽んじていると思われます。
服装に引け目を感じている人は、自分自身にも自信が持てなくなります。
私も子どものころ、ぼろ屋に住み、いとこのお下がりを着ていて恥ずかしく感じていたことがあり、それが原因か、引っ込み思案でした。
いろいろな書物で、高価なものは必要ないが、服装には気を使え、みすぼらしいものは着るなとアドバイスが書かれています。私はこれは的確なアドバイスだと思います。だからこそ、企業も学校も服装にうるさいのでしょう。

☆服装で人を判断する様な、集団の中で暮らさない事です。勤めに出ればそれなりの服装が必要でしょう。それは賃金から制服として出せばいい経費です。自給生活では、特段立派な服など要りません。仲間にも服装で人間を判断するような人はいないはずです。ボロ屋であろうが、住み手が手入れを大切にし、行き届いた良い家はあります。物を大切にする事に誇りを持って暮らしていれば、子供も理解できるはずです。引け目を感じると言う事は、派手な服装、豪華な御殿へのあこがれがあるからです。それが消費経済のコマーシャリズムです。

競争は必要です。問題は社会保障、セイフティネットの構築です。

☆競争が能力差別につながる現実があります。そんな世の中を楽しいとは思いません。社会保障も、セイフティーネットも、さらに後退するでしょう。それが頑張りをあおる戦略です。能力差で、格差は年々ひどくなってきています。誰もが格差があると気付いた頃には、もう戻る事が出来ない所まで進んだ時でしょう。日本はまだ間に合います。日本には江戸時代と言う、変化のない事を良しとする経験がある。江戸時代だって資本主義です。そうした経済の中で、拡大再生産を求めない、安定を作り出せるか。この根本に踏み込まない限り、大きな崩壊が待っていると考えざるえません。競争を越えた、自己新の精神に進むほか人類には道は残されていない。

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