琉球布紀行
「琉球布紀行」澤地久枝著(新潮社出版) 何故琉球弧に布の文化が育ったのか。この事には紅型の素晴らしさを知って以来、興味を持っている。澤地氏は沖縄の文化歴史に興味を持ち、沖縄大学に2年間通ったそうだ。その間、琉球弧に点在する残された布の担い手を訪ねている。この本はその記録である。澤地さんは和服を大切にされている方のようだ。日本人なのだから、確かに和服で暮らすという事も悪い事ではないと思う。しかし、和服は労働には不向きな高価なものである。お寺で僧衣で暮らしたことも少しはある。管理は確かに大変だった。実用から和服が離れて行くのも仕方がないと思う。しかし、琉球弧の布の美しさは際立っていると思う。世界の布の中でも最高の物だろう。琉球弧では島々によって、全く違う布の様相になる。その基本となる繊維すら、絹、からむし、芭蕉、綿と異質なものになる。知識の浅い私には、ただ美しいとしか言いようもない世界。
沖縄の布の素晴らしさを最初に取り上げた人は、日本民芸運動の柳宋悦氏である。その親族の国画会の方と親しくさせていただいたことがあるのだが、常に和服で暮らされていた。日本民芸館には琉球の戦前の貴重な布が沢山保存されているそうだ。確かに紅型を初めて見たのは駒場の民芸館であった。民芸館に保存されていたからこそ、復元された布もある。柳氏は世界で一番美しい布と書いている。沖縄の文化は音楽と布ではないかと思う。何故、ここまで根気を必要とする繊細な布が、暖かい島々ではぐくまれたのか。このあたりの事を考えると、日本人の資質が見えてくるような気がする。古い時代の稲作文化が琉球弧を通して、日本列島に至り、その技術や品種が洗練され、琉球弧に帰ってゆく姿。南方の島々から渡ってきた日本人が、徐々に北上を続け、又、返す波のように、北から南へと分化が影響して行く。離島から抱く都への憧れと、都の需要への応対。
布には薩摩藩の重い人頭税が影響している。澤地氏はあまりその事には踏み込んでいない。あえてその事に頭を巡らさないで、琉球の布の美を味わおうとしたのではないだろうか。あの南の島で、これほどの根気仕事を続ける事は、並の人間にはできない事であろう。雪国の暮らしの中で生まれたと言われたら理解できるのだが、あの明るい陽気な、空気の中で、却って暮らしの重さを思う。からむし織が宮古上布であるという事が、何とも不思議な気がした。あの鶏の好物であるカラムシと言うどこにでもある草の繊維が、繊細な織物を生み出すすごさを思う。宮古島のお土産に、本物の宮古上布の古布の端切れを繋いだ、ものを買ってきた。これを私の絵の間に飾ってある。戒めである。手仕事の意味。
現代の様なあわただしい、金銭が優先される時代でも、琉球の島々には織物に取り組まれる若い方々が存在する。人間と言うものは素晴らしい可能性のあるものだ。究極の布と言っても良い、琉球の織物が次の時代にどのように残されてゆくのだろう。和服と言うものがまた使われる時代は来るのだろうか。化学繊維とは別に、自然素材の布が、評価される時代は来るのだろうか。祖母が蚕を育て繭から絹糸を取り、布を織っていた。嫁入り道具に機織り機を持ってきたのだそう。私はまだそういう暮らしの中にある布の実際を見た経験がある。それを思い出して、カラムシから繊維を取り出してみた事がある。以外に強い繊維と言う事は分ったが、それを繋いで糸にして行く事は、気の遠くなるような事だと分かった。布と言う物の大切さと、それを文化に育てた、琉球の島々に暮らす人々の心の奥深さは、次の時代にとって重要な意味がある。