ヤマトのメール便が無くなる。
ヤマトのメール便が無くなる事は大打撃である。先日、「ニワトリとともにという本」を友人親せきに送った。ヤマトのメール便である。これは82円で送れた。100冊で8200円と言う事になる。もし、メール便でなく、郵送したとすれば、どうだろう。300円のようだ。3,5倍の料金になる。水彩人と言う絵の組織の事務所をやっている。これが、1000人を越えて郵送した事がある。となると、もう会費2人分くらいの出費になってしまう。つまり、メール便が無くなったら、送る事はできないという事になる。ヤマト運輸によると、辞める理由がなんと信書の判断の難しさだと言う。「信書」を巡る同社と総務省の論争が背景にあるということだ。郵便法違反容疑で警察から事情聴取されたり、書類送検されたりするケースが2009年以降、8件起きているという。確かに、宅配便の中に、信書に類したものを入れる事がある。
卵を宅配便で販売したような場合、たまごに説明を入れる事がある。これが印刷物であれば、問題は無いらしいが、手書きであれば信書として扱われ、犯罪になると言うのである。これは法律が屁理屈でできている。確かに、信書の判断は難しいが、親戚に送る農産物の宅配便の中に、赤くなるまで待って食べて下さい。という文章を手書きで入れたらどうなるのか。それが母親で、息子にはくれぐれも身体には気を付けてと書き添えたら、犯罪と言う事になる。宅配便全体に対する嫌がらせだ。全くヤマト運輸が止めたくなる理由が分かる。こうして嫌がらせの様な事を繰り返して、げっそりさせてやめさせるというのは良くある役所のやり方である。本質でない所で足をすくうと言う事だ。そもそもヤマト運輸が郵便事業に乗り出したのは、郵政民営化の結果である。全国津々浦々同一料金で郵便が送れるという事が、民間ではできない。と断言していた。ところが、ヤマト運輸がやれますよと、名乗り上げたのだ。
その恨みつらみを引きずって来た。総務省としては鼻を明かされて腹が立つから、何とか因縁をつけ屁理屈を続けてきたのだろう。利用者からみれば、安い方がいいし。競争が無ければ合理化を怠ると言う事が、郵政民営化の表面上の理由だった。メール便事業が無くなることで、又、郵便会社の独占事業化と言う事になる。全国同一料金を守ってあげているのだから、色々我慢しろと言いだすのだろうか。実は、岩盤規制の打破と言う掛け声で、論理を無視するやり方は、今起きているJA全中解体論も全く同じだ。安倍政権の戦後最大の改革が、全中改革だそうだ。批判ではなく行動だと、つながりのない言葉を力説していた。何故、全中の指導と監査が無くなると、農家の収入が倍増するのかが行動してほしい。全く別の次元の話を、政府は違った目くらましでことを進める。郵政民営化の時も、問題の本丸は郵貯銀行であり、簡易保険の話だった。狙いはJAの預金なのだろうか。いずれにしても、正面から農業問題を議論してほしい。
ヤマトのメール便で充分の物もあれば、ヤマトの宅配便がいいものもある。当然、郵便はがきがいい場合もある。いずれにしても、同じ土俵の上で、競争してもらいより良いサービスにつなげてもらわなくてはならない。岩盤規制の打破が目的なら、メール便の融通範囲を広げる方が本筋だろう。一体あの郵政改革は何だったのだろう。官から民へは考え方として悪いとは思わないが、官が仕事を合理的にこなす能力がないという事が根拠であれば、とんでもないことだ。官の給与が民間より高いから、もったいないと言う理由だ。戦後最大の改革の行動が、ヤマトのメール便を追い詰める事か。是非とも、信書の解釈を広げて、同封の物の説明であればいいというくらいの法律の解釈の変更をしてもらいたい。解釈を替えるのは、安倍内閣は得意だったはずだ。