ニワトリとともに

   

海 中判全紙 渦巻く海、・・・。海は美しいが怖いものだ。自然と言うものはそもそもそういうものだ。


「ニワトリとともに」表紙

農家になろうというシリーズで「ニワトリとともに」という写真でできた本を農文協から出していただいた。この本の企画については私は全く受け身で、農文協の芳賀さんが作ってくれた本である。全く、有難く、申し訳ない限りだ。写真を撮影してくれたのが、常見藤代さんと言う方である。写真が素晴らしい。被写体がみすぼらしいので、問題はない訳ではないが、暮らしの感じが出ていて自分で驚いてしまった。たしかにこんな気分でやっている。写真で写した所で、その実態が写し取れる訳ではない。所が、常見さんの写真はある意図を明確に写している。つまりある世界を創造物として作り出している。この事に驚き感動した。むしろ常見さんと芳賀さんの物語を笹村農鶏園を通して、映し出している。養鶏業をやめるにあたって、こんな素晴らしい写真集を出して頂けた事は、何と言うご褒美かと思う。何と感謝して良いのか分からない。まさかこんな嬉しい形があろうかと思いもよらなかった。

養鶏業をやったのは、好きな事で暮らしたかったからだ。本当は鶏を飼っていればいい事だった。絵を描いて居ればいいというのと同じだ。それくらい、子供のころから鶏が好きだったのだ。爬虫類が好きで、犯罪と言われてでも隠れて、大量に飼う人がいる。私は子供のころからの鶏好きで、ビルの屋上に兄と二人で鶏の楽園を作った。自分の鶏種を作りたいという願望があった。江戸時代にはそういう道楽に生涯費やしてしまう、道楽者というか、粋に生きる者が結構評価され、語り継がれている。私の場合、鶏を飼う事は止めようもない。しかし養鶏業は一区切りついた事である。こんな私の事を本にしてもらうという事には、申し訳ないという思いがあった。申し訳ないが、そういう生き方をそのまま本にしていただければ、好きな道を生きようという人には価値もあるかもしれないと、少し考えお受けした。

好きな事を好きにやっても、何とかなる。こういう事だと思う。そうした精神の一つが農文協の提唱する田園回帰ではないか。競争から抜け出ても怖い事はない。いや、むしろ楽しい。そうした無数の庶民の一例であるのが私だと思う。小さな農家である。仲間と共同する自給である。それでも生きていけるという、地場・旬・自給がある。技術がある訳でもない。みんなで助け合えば、何とかやれる。何処かで農業を学んだこともない。全く好きと言うだけの自己流である。好きこそものの上手という、あれである。本当に好きな事をやれば、何とか生き抜けるものだ。そういう実感が65歳まで来てもてた。今は完全な安心がある。生きるという事は自分の好きにやっても、どうとでもなるという確信がもてて、人に勧める事が出来る。私は父からそれを教えられたが、この本が、そういう気持ちを載せて伝える事が出来れば、どれほどうれしいだろう。

後は絵を描くという好きな事である。こういう自分らしい絵を描くという事である。私の絵を見れば、好きな事をやるのが一番だと、分かるような絵を描きたい。今はそういう気持ちである。今日はクリスマスでもある。本当は皆さんに、この本をプレゼントしたい。読んでみたいという人全員に差し上げたい気持ちだ。読みたいが買うお金がないという人には、私からプレゼントさせてもらってもいい。何とか買えるという人には、一人でも多くの方に購入してもらいたい。それでなくては、せっかく作って頂いた、農文協の芳賀さんに申し訳ないからである。私と言うどうにも絵にならない材料で、こんなに素晴らしい写真を取ってくれた芳賀さんにも、申し訳ないからである。人間65歳まで生きていると、こんな素晴らしい事が起こるのだとういう、感謝いっぱいの年であった。そうもう一度、後は好きに絵を描くことである。

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