伝統農業の伝承
田ノ原湿原 中判全紙 霧に霞んでいる湿原の景色である。この場所は何度か居ても興味が尽きない。
安倍氏は失業率改善をアベノミクスの手柄の如く考えているようだ。失業率が低下した理由は、少子高齢化の結果である。労働人口が減ってきているのである。しかも、熟練労働者が急激に減少してきている。熟練社員が1人辞めれば正規社員を減らして、非正規雇用で2人入れなければ間に合わない。労働人口の先行きの減少が失業率の低下の一番の要因である。失業率が下がり、GNPが下がるという少子高齢化である。何も安倍氏が手柄顔で語るようなことではない。世界経済は新しい消費者を失い始めている。世界の経済競争に紛れ込んで行ったとしても、その限界は遠からず来る。今のうちに、競争経済から安定経済へと舵取りを変える事が重要である。世界へ出てゆくという事より、日本国内をどこまで合理的に整理し直せるかである。その意味で地方創成は言葉は変だが、方向は正しい。このあたりが安倍政権の巧みな所だ。美しいくに、瑞穂の国もそうなのだが、言葉だけは素晴らしい。
農業分野では、団塊の世代が働き手の中心に居る。頑張っても後5年が限度だろう。団塊の世代が農業分野から抜けた後、農業分野はよほどの変化をしなければならなくなる。どんな分野でも、重要な事は技術力である。日本の農業技術は高いと思う。ヨーロッパと中国の農業事情は見てきたが、日本より一般的な農業技術は低い。それは、土壌を活かした農業技術という点で、条件が日本の土壌のが素晴らしいという事が大きい。東洋3000年の循環農業の伝統という事もある。しかし、そうした技術が革新され、洗練され、伝えられてゆく術がない。本来であれば農協がそうした技術の改良普及を行うのだろうが、今やそうした人材が無い。それは行政でも同じで、稲作技術の指導をお願いしても、神奈川県で一人だと聞いた。基礎技術の研究というものがなされていない。これでは、農業分野では国際競争力どころではない。
次の世代に、一子相伝で伝えられてきたものが、日本の農業技術である。伝承が機能しているのであれば、少子高齢化は悪い事ではない。親が子供に農業を継がせるわけにはいかない。都会に出て勤め人になってもらった方がいい。このように考えるようになった時から、日本の伝統的農業技術は失われ始めた。少子高齢化は地方社会を見直せば、悪い事ではないはずだ。人口が増え過ぎて、農業で暮らしてゆけないという事が、若者が都会に出てゆく原因になった。都会生活より、地方で農業で暮らしてゆく事の方が、はるかに豊かな暮らしであるという事を、知って欲しい。地場・旬・自給で生きて行くつもりであれば、暮らしは何とかなる。農地も借りられる時代だ。食糧を確保して、後は自分が何をするかだけだろう。一日1時間の自給生活。65歳の私が実践していることだ。周辺の農業者に比べれば、私は劣っているという自覚がある。若い人ならだれにでも可能なことである。今やるべき事は、失われかけている農業技術の復活である。
困る事に永続的農業技術というものは、植物の顔色を見る力の様なものだから、一朝一夕に身に着くものではない。おやじと一緒に働きながら気づくことだ。新規就農した頃のおおよそ4分の1の労力で今はできるようになっている。これは技術が進歩したからだ。自学自習だから大変だった。多分体力は半分くらいになっているだろう。畑の草を取るべきか、取らない方がいいのか。こういう事は日々遭遇するが、こんな単純なことすら善悪は分からないというのが農業である。こういう技術というのは、先祖代々同じ畑で耕作して、そして未来も永遠に耕作するのだと決めていて、初めて分かることだ。簡単そうで奥深いのが農業技術である。工業的な発想では、良い農産物が作れるわけがない。しかし、日本は世界最高の伝統農業が、まだかろうじて残っている国だ。この瑞穂の国の国がらを大切にすれば、心豊かに生きる事が出来るはずだ。