房総半島の景観
北信の村 中判全紙 何枚か書いたうちの一枚。出来上がっている訳でないのだが、もう1ヶ月も眺めていながら、絵が進まない。これでいいのかもしれない等と思っている。この絵は、水彩人の仲間の奈良の関さんの影響が出ている。
房総半島に行ってきた。友人の染色作家の金子さんが館山で個展を開いた。それを見がてら、房総半島の里山景観を見たいと思って出掛けた。どうしても房総半島というと、海が思い起こされるが、実は房総で惹きつけられるのは、内陸部の里山の景色である。一つは暖かいので山が照葉樹林で独特の明るさがある。特に冬枯れになる今頃からは、実に複雑な色合いで彩られている。美しい紅葉になるという事はないのだが、何か人間らしいというか、人当たりの良いなじみ易い色彩になる。夏の圧倒されるような重い緑を思うと、不思議なくらい穏やかな感じに変わる。厳しい冬が無い安心な冬支度なのだろう。年取って渋くなったような感じだ。房総の低い山なみとその複雑な谷間が続く間に、人の暮らしが息づく。いたるところに棚田があり、いまだに多くの棚田が、維持されている。田んぼの様子からして、移住者が耕作をしている事が、伺える。専業農家であれば、やめていただろう耕作地が維持されている姿は、何か胸を打つものがある。
ありとあらゆる畑に電気柵があった。それでも、電気柵をできる若い人の耕作地はまだいい。出来ないお年寄りの畑は、却って被害が集中するのだ。農業を行う事が、野生動物とのせめぎ合いだという事が分かる。こんな状態になっても、犬の放し飼いを行えないというのでは、これからの暮らしの見通しが立たないという事にならないのか、心配になる。私の子供のころは、猪が出るというので、地域ぐるみで甲斐犬を飼って、夜になると一斉に放した。それでイノシシの害は何とか防ぐ事が出来た。人がそれで犬に噛まれたというような事はなかった。犬の群れが、やまでイノシシを追い回している事が、吠える声で良く分かった。朝になれば、各家に戻るので、昼間の犬は鎖に繋がれていた。50年前の山村はそうして、獣害を防いでいたのだから、犬の放し飼いはもう一度考えてみる必要がある。このままでは、放棄集落が増える原因の一つに獣害がなる。
房総に移住しようと、訪ね歩いたのは30才の頃だから、35年前になる。まだ移住者は少なかったが、海辺から移住者が増え始めていた。養老渓谷とか、大山の千枚田とか、今は観光地になったが、あの辺りを色々歩いた。結局一緒に探していた、窪川さんが長野に移住を決めてしまい、房総での移住地探しは辞めになった。あの頃は窪川さんとは、同人誌の北斗というものを作っていた。確か、10回はやろうという事で、半年に1回出していたのだから、5年くらいやったという事か。幼稚なものだが、ルネッサンス絵画について、私は調べて書いた。房総の里山は理想的に見えた。何故あの頃、移住出来なかったのかと言えば、自給の暮らしに自信が無かったからだ。学校勤めを辞めて、房総で鶏を飼うという事は、何度も考えたが決断が出来なかった。そして、ぎりぎりの現実的選択として、山北に移住をする事になった。そういえば、染色をしている金子さんが千倉に越したのも、その後だったのだが、越してから25年経ったと言われていた。金子さんが個展に、時々一緒になった渋谷洋画人体研究所で描いたクロッキーを出ていたのには驚いた。
房総の里山を2枚描いた。可能性はある絵だと思っている。一枚では分からないので、2枚描いた。最近現場ではこうなる事が多いい。後で家に帰って描き継ぐのに、このほうが具合がいい。この後、色々描き続けると思う。そうして、又来年の冬には、出掛けてまた描いてみたいと思う。家で描いていると、色々新しい発見があり、又引き続きを描きたい気になるのだ。そのとき写生した場所に行ってみる事になる。行ってみて大抵は新しくその場所で描いてみるのだが、その辺で少し絵にしたくなる意味が分かる事もある。房総の鴨川の奥の山村を描くには、朝か夜である。谷間に光が差し込むくらいの時間が面白いのだ。だから、3時ころから夕方描いて、翌朝6時ころからもう一度描く。このやり方がいいようだ。来春にはもう一度行ってみたいものだ。