原発避難地域の変化

   

下の畑 中盤全紙 今は麦の撒いてある畑だ。今年の夏はずいぶん草を生やしてしまった。今はまた麦を蒔いてきれいになっている。きれいになっている時より、少し荒れているときの方が絵になるというのも、変だ。がそういうものだ。

福島の原発避難地域とその周辺では、稲作が行われなくなった。事故後2度行った事があるのだが、田んぼの無くなった里山がどういうものになるのか、是非とも、農水や、環境省の方々は見て置いて欲しい。政治家の方々も、将来の日本の姿を予測させる姿なので、是非、人の住まなくなった地域がどう変化して行くのか、見て置いて貰いたい。見ないでもそんな事は分かっているという人もいるだろうが、あの荒れすさんだ、わびし過ぎる風景を目に焼き付けて置いて貰いたい。日本の風景というものは、人間が暮らすことで出来上がっているものだという事が分かるはずである。この美しい風景というものは、人が暮らさなくなれば、わずか3年で、失われてしまうものだ。強くその視覚に留めて置いて貰いたい。勿論そんなことどうでもいいという人もいるだろうが、心ある日本人には日本の方角をどこに定めるかの、大きな材料になるはずである。

福島県には美しい村が沢山あった。美しい村連合というのものがある。特に飯館村は格別に美しい村だった。ダッシュ村のあった、お隣の浪江町も美しい地域である。バク原人村のある川内村も美しい所だ。海沿いの大熊町、双葉町、魅力的な所だった。そうした地域が人が住まなくなった3年間で、どのように変貌したのか。これは確認しておいた方がいい。遠からず、日本全体がそうなって来る可能性が高いと言われている。人間が幸せに暮らすという事は、美しい場所に暮らすという事ではないか。しかもその美しい場所を、自分の暮らしが作り出している。こうした安定した気持ちが、何にも代えがたいと思う。高額な商品にあふれている暮らしよりも、つつましく、地に足を付けて日々を送ることが、幸せの原点であると、人間の生きるという事の意味と向かい合う事になると思う。そうした美しい場が、日本には無数に存在している。その大切さを見直す最後の時が来ている。

田んぼはなければならない。暮らしにはあの田んぼのある風景というものは欠かせない。それは実は日本の自然環境を作り出したものでもあったのだ。福島の原発事故地域では田んぼが無くなって、赤とんぼが居なくなったという。おおガエルが居なくなったという。きっとそれを餌にしていた、動物たちにも影響を与えている事だろう。勿論農薬や化学肥料もなくなり、復活してきた、生き物もいる事だろう。放射能に汚染された猪を調べている、学者の人達がいる。最近捕獲された埼玉県のシカが基準値を超えたセシューム汚染があると、埼玉県のホームページには出ている。ドイツでは、最近でも猪から基準値越えのセシュームが検出されている。長く、広く影響は続くという事だ。海に関して言えば、これからが汚染の本番だと思っている。この事はまた別の機会に書く。その前に、田んぼが無くなると、風景が無くなるという事である。

都会で大半の日本人が暮らすようになった。特に日本の政治にかかわる人や、官僚の方々、そして大企業の方々は、田んぼのある場所に暮らしていない。多分、コンクリートで固められた地域で暮らしている。時々、ゴルフ場などには出掛けるだろう。しかし、農業という生産をおこなう場所が、美しい日本を作り出してきたという実感はないはずである。もしかしたら、30ヘクタール以上を耕作する大規模農業の方にも、美しい農地という感覚はないのかもしれない。観光地としての棚田百選などという形の、取り上げられ方はある。それが残す価値がある農村風景の象徴として顕彰され、営農としてではなく、ボランティアが参加して残すという事がある。これも実態とは違う。日本全国に無数に存在する、何でもない集落がどれほど大切なものか。失われてみて分かるという事だろう。毎日一つは消えて行っているはずだ。人が住まなくなって、3年経てばどういう事になるのか。是非とも、福島に行って確認してもらいたい。

 - 里地里山