戦争の始まり方
舟原の畑 10号 舟原も戦後は、すべてが開墾され、見渡す限り畑だったそうだ。大根を作り、たくあんを箱根の旅館に収める人がいたそうだ。それが少しづつ、山に戻りつつある。竹藪に成りつつある。
中国軍戦闘機が日本の自衛隊の偵察機に、30メートルまでの接近した。中国の最近一方的に設定した防空識別圏の中である。自衛隊機中国機2機にがスクランブル(緊急発進)したと発表した。中国は「中国とロシアの合同軍事演習を監視、妨害した」と主張、中国機は必要な識別と警備的措置を取ったとしている。小野寺防衛相は25日午前、「常軌を逸した近接だ。偶発的な事故につながる危険な行為だ」と懸念を示した。両者に言い分がある。もう一つは、中越艦船がにらみ合いを続ける南シナ海のベトナム沖で26日午後、ベトナム漁船が中国漁船に体当たりされて沈没した。漁船の乗務員10人は救助されて無事だった。さらに、ウクライナ東部のドネツク国際空港に26日未明、数十人の親ロシア派武装集団が押し入り政権側部隊に立ち退きを要求。インタファクス通信によると政権側は「違法に侵入した」親ロ派が武装解除に応じなかったとして26日午後に空爆したと明らかにした。不穏な雲行きである。
日中関係の悪化が始まったのは、石原氏のアメリカでの尖閣買い取りアピールからである。引き継いだ猪瀬氏が、5000万円を掴まされた事件と連動していると思っている。石原氏の暴走は今でも継続しているが、あのとき、国が買い上げないければ、東京都が灯台や港湾施設を作り、戦闘状態も起こりえただろう。今後日本が戦争に巻き込まれる可能性を考えてみる。まず、中国で内乱がおこる場合である。もう一つが朝鮮半島が戦闘状態になる場合。その他、世界各地にある紛争に日本軍が参加する場合。その他の可能性も常にあるが、おもに前者2つの場合を考えてみたい。中国では、ウイグル族など、少数民族の不満が増加している。背景には経済的な格差と民族差別が存在し、宗教的な対立も存在する。中国政府は、軍事力を強化する一方で、国際的にも、ロシアとともに、孤立化の道を歩み始めている。このまま行けば、どこかで不満が暴発する可内乱が能性がある。そこで目をそらすために、海外に対して緊張を作り出すことになる。
アメリカが中国の標的になるだろう。その意味で、ロシアとの軍事的連携はさらに強まってゆく。その一方、アメリカの軍事的支援を期待するのは、日本だけでないだろう。ウクライナ問題でアメリカに同調させられた日本政府の不明な態度の理由がここにある。中国の周辺国は中国の衛星国になるか、アメリカとの同盟関係を強化することになる可能性が高い。緊張が徐々に高まってゆく。一方中国は国内の民族的紛争が深刻化するおそれが強い。同時に格差問題、人権問題、等深刻化してくる。その流れを食い止めるために、どこかで戦闘状態を作り出そうと、武力的行動に出る。こうした内乱的中国の国内事情に応じて、ある中国内の勢力がアメリカや日本に共同戦線を求める。人権とか、正義とか、建前論が登場し、大東亜の平和論の再現がないとは言えない。劣った愚かな中国を正してやる的な暴走。
もう一つの朝鮮半島での有事。北朝鮮と韓国が戦闘状態になる。背景には、中国とアメリカがあり、アメリカは、日本、韓国と同盟関係にあるのだから、北朝鮮に対して軍事行動を取ることになる。日本がこの戦争に巻き込まれてゆくという可能性。北朝鮮が戦争状態に持ち込むときは、常軌を逸したときである。国内の事情もあるかもしれないし、金ジョンウンが幼稚な冒険主義で暴発する時である。その時には日本の憲法の解釈など、関係がない。常識的な判断力がある間は、最終的に自らが滅びる道に進む訳がない。当然日本本土への原爆の投下まで予測せざる得ないだろう。こういう暴発的な想定では、常識的な抑止効果や、生半可な防衛能力など何の意味もなさない。日本の戦争のはじまり方は、この数年かなり現実化してきている。しかし、何としても防がなければならない。それには、過去の軍拡競争から、戦争に至った失敗から学び、新たな平和戦略を構築する以外にない。平和的手段が、どれほど頼りないものであっても抑止力等、逆効果以外の何物でもないことを考えなければならない。