尖閣問題の棚上げ論
尖閣問題の棚上げ論は、賢い政治的判断だ。参議院選挙に向けて良い顔ばかりしている安倍政権としては、出来ない相談であろう。国民の大半が尖閣は日本固有の領土だと確信を持たされている。ありとあらゆるメディアが口をそろえてそう主張しているのだから、無理もない。中国のものだとは思わないが、日本のものだとこだわる必要はないと考えている。そもそも領土というもの自体が、あまり好きになれない考え方である。誰のものでもないというのが、理想である。しかし、現状では国の面子が前面に出ている。せっかく棚上げ状態にあった、尖閣問題を棚の上からおろしたのは石原氏である。東京都の知事でありながら、強引に問題化してしまった。石原氏にしてみれば、橋下発言にもつながっている、してやったりなのだろう。慰安婦問題、沖縄の基地軽減はすべて一連の戦略のつもりなのだろう。核保有まで研究すべきとしている石原氏である。本心日本帝国の再現を望んでいるのだろう。それに利用できる橋下氏と組んで、安倍氏にチャンスボールを投げているつもりのはずだ。老人の焦りが根底に感じられる。
尖閣列島は日本の領土である論を繰り返していても仕方がない。中国政府は中国の領土だと主張しようと常に思っていたのだ。戦略的にいつ問題化しようかと考えていた矢先、日本側が動いた。日本の外交術の甘さがここに噴出した。日本が中国と平和条約交渉を加速化させたのは、アメリカの日本を無視した中国接近があったからである。何としても中国10億人の成長の波に乗り遅れてはならないという、焦りにも似た思いがあった。田中角栄氏の強引な交渉は当時も話題になった。つまり、交渉は簡単なものではなかった。しかし、中国首脳部の特に周恩来氏の柔軟な対応で、日中共同声明は発表された。中国が賠償請求を放棄する代わりに、日本が経済援助をすることが骨格になる。この共同声明の精神にのっとり日中平和友好条約が後に締結される。今2つの文章を読んでみても、様々な背景が想像されるではないか。
こうした交渉の中で、尖閣のような問題化しそうな部分に、まとめようとした両者が触れなかったということはあり得ることである。触れれば交渉自体が成り立たない。もし尖閣を経済より上位に置いていたなら、中国に対して確認したはずである。中国はソビエトから脱却し、むしろ国境で対峙するような関係になっていた。その結果、中国はアメリカと接近することになる。ソビエト政府は共産圏諸国を強引な姿勢で、搾取する体質があった。中国だけは衛星国にならず、対等に対応していた。そのために1969年には中ソ国境紛争が勃発し、戦闘場面すら起きた。中ソ対立は極めて深刻な状況に進んだ背景がある。一方アメリカはベトナム戦争を激化し、中国影響下のカンボジアへ侵攻する。当時の世界状況の中で、日本も中国も日中友好条約に向けて動き出さざる得なかった。日本は経済成長著しく、経済での実力の判断から、中国も日本との関係を有利だと考えて賠償請求よりも、経済援助と企業進出を選択した。野中氏の発言のように、様々な問題を積み残しても、両国には平和友好条約を締結する必然があった。
現在の中国は状況が変わった。日本が要らなくなって来たのだ。国内の格差から生まれる不満をどう制御するかが、中国政府の課題である。矛盾に満ちた間違えば暴発するような不満層が存在する。不満層の矛先を、海外に向けようというのはあり得ることである。特に日本の侵略を問題化することは、簡単なことである。それは韓国の国内にも同様の火種があり、ときどき煽っては炎が燃え上がる。こういう時に、石原氏がわざわざ尖閣を持ち出す政治意図は何かである。日本の軍事化である。だから、棚上げされたら困るのである。いつでも必要な時に、尖閣や竹島で問題を起こした方が、軍国化する戦略上望ましい、と考えている政治家が居るのだ。中国政府も、棚上げ論を観測気球としてあげている。野中氏の棚上げ合意発言もそうした背景を心配してのことだろう。対立を深めるより、この問題を解決に向けて政治のかじ取りの方向を変えるべきだ。