農家民宿「おわて」の話
わざわざ下関から、研修に来た青年がいる。私の所で養鶏の研修をすると言っても、特別のことはないので、正直困ってしまうのだが、見ていただくという以上のことはない。それも、だいぶ縮小してしまっているので、ますますやることもない。今回見えた方は、一年間大分県の「おわて」という農家レストラン・農家民宿大分県玖珠郡九重町で研修をされていたということだ。Mさんはとてもしっかりした、立派な青年だった。Mさんは身体がしっかりしている。動くときにフラフラしない。これは本当に働くことのできる動きだ。こういう人が次世代の日本を担うのだろうと思えて、とてもうれしかった。たまたま、小麦の刈り取りの日と重なり、小麦の刈り取りを中心になってやってもらった。小麦の会の人たちとも、とても良い交流が出来たのではないか。全国には色々な生き方を目指す人がいるということを、お互いに知ることは有意義だと思う。
Mさんの話で研修先の「おわて」についていろいろ聞かせてもらった。実に面白かった。研修に来てくれた上に、遠く九州の九重の農家のおじさんの話が聞けるなど、「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」。農会でやっていることに加えて、それ以上のことを、一人でやっている人がいるのだ。ヤギも鶏も飼っている。その農家民宿では、そこで生産したものを食べてもらうのだそうだ。ヤギ乳と卵で作ったプリンはなかなかのものらしい。どうも暮らし術の達人という感じだ。「うわて」がなまって、「おわて」が屋号となったということだが、屋号を民宿の名前にしているように、古くからそうした暮らしを続けてきた山村のようだ。柳田國男氏は九重にも近い椎葉村で古い日本の暮らしに出会う衝撃から民俗学に志したということだ。この「おわて」で古い日本の暮らしを掘り起こし続けているらしい。たまたま半年前から家で研修をしている、檀上さんのみみず掘り用の熊手の柄が折れた。Mさんが言うには、グミの木を見つけておかないといけないというのだ。
柄になる位のグミの木をいつも見つけて置く。そうして必要な時にその生木を切って利用する。しなって手に反動の来ないとても良い柄になるのだそうだ。もちろんカシの柄の方がいい場合もあるのだろう。生木の在り処を覚えて置くというところが素晴らしい。子供の頃、柏餅と作る時に山にある柏の木を覚えていて、採りに行くことになっていた。今では山村でも、山から柏の木を庭に持ってきている家が増えた。山と暮らしの距離が遠くなったということだろう。夕飯の用意に裏の田んぼにお米を刈りに行く。こういう暮らしがカシミールにあるとテレビではやっていた。「おわて」では、この古い日本の暮らしを農家民宿という形で、多くの人に伝えているらしい。米作りは合鴨農法で、新しいやり方もやるらしい。この合鴨の肉がこの民宿の夕食になる。合鴨の雛も出荷している。合鴨は肉にするために、白い系統を選抜している。飼われている鶏は、写真では薩摩鶏のようでもある。おとなしいというから、地鶏と交雑しているのかもしれない。
農の会のことを考える上でも「おわて」の話はとても参考になった。農の会では普通の勤めをしている人が、「おわて」で経験できるようなことを、都会の隣くらいで実践しようという活動である。町場における暮らし探求だから、気お付けないと趣味的なものになる。逆に都会的な儲け仕事になる。あくまで、「地場・旬・自給」の原点を維持できるかであろう。農の会でも米作りをする。あくまで自給と思っている。自分が食べるための合理性を自覚できるかである。自給というものには価格が存在しない。世間は経済で回っている。この関係を間違うと、すぐ方向がおかしくなる。これが「おわて」のように山の中で家族でやっていれば、筋が分かりやすい。しかし、農の会のように様々な人が、様々な期待と価値観で関わる。そして農業で生計を立てようという人も混ざっている。そのことは困難であるが、より大切だと私は思っている。
昨日の自給作業:田んぼのコロガシ2時間 累計時間:23時間